身近な法律問題
人が人を裁けますか
普通の人が、裁判官と一緒になって裁判をしていくということになります。
そこで「自分が人を裁くことができるんだろう」か、ひいては「裁判官を含め、人が人を裁くことはできるんだろうか」という哲学的疑問をもたれる方もおられるかと思います。
まず「裁判官は人である、人が人を裁けるのだろうか」という点を考えてみることにします。
人が人を裁けないのなら、他に、どのような裁き方があるのでしょうか?
まず「神様が裁いてくれる」というのはどうでしょう。
神様といっても、キリスト教の神様や、イスラム教の神様や、仏教なら仏様、どの神様・仏様が、正しく裁けるのでしょうか?無神論者にとって、神様・仏様が裁いてくれると言っても納得しないでしょう。
また「神様が裁く」といっても、どのようにして裁くのでしょう。
昔は、王自らが神のお告げにより裁く、あるいは、神官が神のお告げにより裁くということもあったようですが、王あるいは神官が、本当に、神のお告げを正しく伝えているという保障もありません。
なお、昔は、紛争解決手段として用いられたのに盟神探湯(くがたち)というものがありました。
訴える人、訴えられる人が、熱湯に手を入れ、手が「やけど」をしたら、その人の主張は嘘、本当ならば、神様が守ってくれて「やけど」はしないという紛争解決方法です。
本当は、どちらが正しいか役人が調べて、正しいと考えられる方が入れる湯をぬるくしておいたとか、「嘘」をついている方が、湯に手を入れる前に、自分が「嘘」をついていると「自白」して決着がついたとか言われていますが、いずれにせよ、あまり説得力はありません。
また、神様がダメなら、機械や、コンピュータが人を裁くというのはどうでしょう。
ご存じのとおり、人を裁く機械はありませんし、コンピュータは、人を裁くほど賢くありません。
他に、裁く方法があるでしょうか。
ないなら、消去法で、人が人を裁くしかありません。
人を裁くのは人しかいないということになっても、従前のように、職業裁判官が裁くという方法もありますし、普通の人が裁くという方法もあります。職業裁判官と普通の人が一緒になって裁くという方法もあります。
職業裁判官は、法律を知っているのは間違いないですが、事実認定という点では、普通の人より「多少」「慣れて」いるにすぎません。
さほどの差はないように思います。
なお、裁判官の中にも「人が人を裁けるのだろうか」と思い悩む人もいるようです。
そんなに、深刻に考えるまでもないように思います。
どちらにせよ、間違えるときは間違えます。間違えない人はいません。間違えない人がいるとすれば、彼(彼女)は人間ではありません。
いずれにせよ、人が人を裁くと考えずに、人が事件を裁くと考えましょう。
また、真実などは誰にもわかりません。証拠があるかないかを考え、証拠がある方を勝たせればいいだけです。
なお、裁判員制度が導入される刑事事件の場合は「疑わしきは被告人の利益に」という原則により、無罪の裁判となります。