身近な法律問題
陳述書
裁判所は、弁護士に対し、少なくとも、自分の依頼者の「本人」や「準本人」(会社の代表権のない取締役や担当の会社員。妻名義で不動産を購入をしているが、実質的に買主である夫など)の陳述書を提出するように命じます。
尋問時間の短縮が主目的です。
もちろん、交通事故の目撃者など、純粋な「証人」は、原告・被告どちらからも働きかけはできませんから、証人尋問が「一発勝負」ということになります。
当事者や証人(準本人)となるべき人の陳述を書面にした陳述書については、弁護士にも反対論があります。
基本的に「真実発見のためには、すべて本人尋問・証人尋問がなされるべきである」という考えで、正論ではあります。
しかし、牧歌的なころであればともかく、裁判官が、単独1期日100件前後(通常2期日で200件前後。あと合議で100件前後)という件数の事件をかかえ、法廷の使用時間(原則、10時から12時と1時から4時30分)が制限されているという現実を考えれば、「筋論」は現実的ではありません。
陳述書の提出には、メリットもあります。
まず、相手方としては、本人・証人が何をいうのかわかります。昔は「反対尋問のために次回期日に続行してほしい」とする弁護士さんが多くいました。
いまは、集中証拠調べ(民事訴訟法182条、民事訴訟規則101条)が実施され、人証調べの期日が短縮されていますから、当日反対尋問をしなければならず、あらかじめ、相手方の人証が、裁判所で供述することを知っておく必要があります。
基本的に、訴訟では、主張(訴状、答弁書、準備書面などに記載されていること)と、証拠(書証、人証など)は別で、主張は証拠(立証)により裏付けられないと意味がありません。
書証などで十分な事案はともかく、離婚訴訟など、人証では聞ききれない背景事情について陳述書で記載しておいて、要点だけを人証で聞くということはよくあります。一々聞いていては時間が足りません。
裁判所(少なくとも殆どの裁判所)は、陳述書を本人・証人に記載してもらうことを期待していません。
弁護士が、主張のために事情を聞いているのですから、弁護士が起案し、署名・押印を本人・証人がすれば十分です。
本人の書いたと思われる陳述書は、文章が読みにくい、争点と関係ないことが延々と書かれている、逆に、必要なことが書かれていないなど、わかりづらいです。
私の場合、ほとんど全件、私が起案して、本人・証人に添削してもらい、添削後の陳述書に署名・押印をもらうという形になります。
計算関係が非常に複雑な事件、専門的で弁護士でフォローしきれない事件(それでも、草案をつくってほしいと、言われます)、逆に、離婚訴訟の親権者指定の便宜ための「生活ぶり」を記載するような書面でもない限り、本人に起案してもらうことはありません。
裁判所は、「素人」の、主語、述語、日時が抜け、裁判所が知りたい要点を記載せず、判決するのに必要のない余計なことを「だらだら」書いた文章を読むのは「面倒」です。
ただでさえ、裁判官は忙しいのに、一つ一つの事件に「かまって」いられません。
当事者にとっては「一生に最初で最後の」訴訟でも、裁判所にとっては、「最高裁判所に処理を急がされている」「ルーティンワーク」です。
裁判官としての経験から言えば、民事訴訟の多くの事件は、書証などの客観的証拠の内容・有無などで勝負がついていて、人証は、その確認程度、あるいは、当事者の言い分を聞く「儀式」にすぎません。
一部例外的な事件を除けば、人証調べの前に、裁判所なりの結論を出しておき、人証調べなどしなくても判決ができるくらいに記録を読んでいない裁判官には、その能力・適格性に疑問符がつきます。
ただ、皮肉なことに、地方裁判所は「ヒマ」になり、証人尋問の時間は「たっぷり」とれるようになっています。
理由は、民事一般訴訟の減少と、過払訴訟の増加にあります。
民事一般訴訟自体の数は、毎年微増しているのですが、現在、地方裁判所の一般事件の約3割が、サラ金相手の「過払訴訟」になっています。
つまり、「過払訴訟」を除いた一般事件は、数が減っています。
そして、サラ金相手の「過払訴訟」で、本人尋問などする例はまずありません。少なくとも、私は、全く「過払訴訟」で本人尋問や証人調べをした経験がありません。
その昔は、人証調べに2ヶ月、3ヶ月とかかっていたのですが、弁護士の日程さえ入れば、裁判所は1ヶ月後からでも期日が入るようになっています。
ただ、1ヶ月後に、集中証拠調べのため、午後いっぱい、場合によっては、午前・午後いっぱい、時間が空いている弁護士は多くありません。弁護士双方の都合を聞きますから、まず、1ヶ月後に人証調べの期日がはいることはありません。