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2019年バックナンバー

雑記帳

三跪九叩頭の礼

 保守的論客のうちには「尖閣諸島を中国にとられると、次は沖縄を中国にとられる」と論じる人がいます。 
 
 沖縄は、昔は琉球王国でしたね。
 
  清にも朝貢し、薩摩藩にも従属するという体制をとっていました。
 
 「三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)」というのがありました。
 
  中国清朝皇帝の前でとる臣下の礼です。
  「跪」の号令で跪き、「一叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打付け、「二叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打付け、「三叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打付け、「起」の号令で起立するという内容です。
 
 清朝皇帝の前でとる臣下の礼なら「かわいい」もので、李氏朝鮮や琉球王朝では、清からの「勅使」に対し、「王」自身が、王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えていました。
 
 清からの「勅使」に対し、「王」自身が、王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えた門が、李氏朝鮮の場合は「迎恩門」、琉球の場合「守礼門」でした。
 
 「迎恩門」については、1895年の下関条約で、李氏朝鮮は、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱したため、独立の翌年取壊されています。「守礼門」は2000円札にあるとおり健在です。
 
 なお、李氏朝鮮の場合、清皇帝が、1636年、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めたところ、仁祖という朝鮮王が拒絶したため、派兵されて完敗し、仁祖という朝鮮王が清皇帝に三跪九叩頭の礼を行なって、許しを求めたという経緯があります。「イ・サン」というテレビ番組がありますが、イ・サンこと正祖大王は「在位期間 1776年4月17日 - 1800年8月18日」とありますから、清に対し、同じ礼をとっていた理屈になります。
 
 1636年、仁祖の「三跪九叩頭の礼」が、右上のレリーフです。
 
  沖縄自体が、清の属国であったから、中国領であると主張する中国人がいます。
 
  ただ、その理屈でいうと、韓国や北朝鮮も、清の属国であったから、中国領であるという理屈になってしまいますね。
 
  もっとも、中国は本気で北朝鮮(高句麗の版図)を併合しようとしているという話もあります。

  清との国交を求めるイギリスの外交官マッカートニーは、1793年、清の皇帝から求められた「三跪九叩頭の礼」を拒否しています。
 
  それどころか、1840年、イギリスと清が戦争し(アヘン戦争)、完勝したのはご存じのとおりです。
 日本の副島大使も、清の皇帝から求められた「三跪九叩頭の礼」を拒否しています。
 
 1894年、日本と清が戦争をしました(日清戦争)。結果はご存じのとおりです。
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