外国事情 バックナンバー2/2
高句麗と高麗
物の本によりますと
「高句麗」(紀元前37年頃-668年)
扶余系民族による国家であり、最盛期は中国大陸東北部(満州南部)から朝鮮半島の大部分を領土とした。
半島南西部の百済、南東部の新羅とともに朝鮮半島における三国時代を形成。隋煬帝、唐太宗による遠征を何度も撃退したが、唐と新羅の連合軍により滅ぼされた。
「高麗」(936-1392年)
朝鮮の王朝の一つ。936年、王建が朝鮮半島全土を統一して建国。都は開城。
仏教文化が栄えたが、13世紀には元に服属、1392年李成桂(りせいけい)に滅ぼされた。
全く違う国ですね。まぎらわしいですが・・
高句麗史の帰属をめぐる韓国・朝鮮と中国の論争があります。
日本人は、一般に、高句麗も高麗も韓国・朝鮮国家と考えていると思います。
中国における高句麗史の帰属問題と「東北プロジェクト」というのがあります。
1 高句麗は中国の中原王朝の統治秩序の中で建国された。
2 高句麗は独立国家ではなく、中国の中央王朝の地方政権である。
3 高句麗民族は中国の古代の一民族である。
4 隋・唐と高句麗の間の戦争は中国における国内戦争である。
5 王氏高麗は高句麗を継承した国家ではない。
6 朝鮮半島の北部地域も中国の歴史に属する。
だからといって、どうなるものではないような気がするのですが、逆にいえば、韓国・朝鮮としては昔「中国大陸東北部(満州南部)から朝鮮半島の大部分を領土とした」ということになり「中国大陸東北部(満州南部)も韓国・朝鮮の歴史に属する」ということになるのでしょうか。
チベット、内モンゴル、ウィグルなどとは違って、中国が韓国・朝鮮を弾圧できるわけではありません。
逆に、韓国・朝鮮が、満州南部を「自国の固有の領土」と主張するわけでもありません。