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2012年バックナンバー

君が代

平成24年3月13日、府立和泉高(岸和田市)の中原校長が、卒業式の国歌斉唱の際、教職員の起立とともに、口元の動きをチェックし、1人を「不斉唱者」として府教委に報告していたことが分かりました。

 最高裁判所は、平成24年1月16日、卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱の際に起立しなかったことを理由に東京都教育委員会から懲戒処分を受けた教職員について「戒告処分までは基本的に懲戒権者の裁量の範囲」との判断をしています。

 国歌斉唱をしない教師もしない教師、チェックする校長も校長、まるで「子供の喧嘩」ですね。

 もちろん教師が、どのような思想を持つかは自由です。
 しかし、組織の一員となる以上、規律違反は「非違行為」です。
 組織の一員は、自分の思想を表示することが、規律違反=非違行為になるなら、最初から組織の一員とならなければいいのですし、組織の一員であることをやめればいいのです。

 私自身、小学生、中学生、高校生の時(すべて公立です)、卒業式の際に起立せず、国歌斉唱をしなかった教師はいませんでした。
 特定の思想信条を授業で話す教師もいませんでした。

 大学で、憲法の教授(故・小林直樹先生)の講義の時、「えらい左翼の先生やな」「国立大学でこんなことゆうてもええんやろか」と思いましたが、よく考えてみれば、大学の講義ですから当たり前の話ですね。
 ちなみに、卒業式と言えば、私の年には、東京大学には入学式も卒業式もありませんでした。
 今は、入学式に「父兄2人分」の「入学式」「入場整理券」が配られるようです。
 ヤフオクで売れば、いい値段がつくかも知れません。


 私がドイツ留学していたとき、教師から「国歌をドイツ語に訳してみてごらん」といわれたことがあります。
 「天皇(複数)の統治が永遠に」というふうにドイツ語に訳したところ「歌は長いのにそれだけか」「動詞はないのか」と聞かれ、語学力不足の私は、「動詞は最初からありません」と言うほかは、「よくわかりません」と「笑ってごまかす」しかありませんでした。
 他の日本人語学生より「まし」ではありましたが・・

 「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
という詠み人知らずの古今和歌集が「おおもと」だといわれています。
 「我が君」は、「夫」か「恋人」ということでしょう。

 なお「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」は科学的ではありません。
 大きな石が小さくなるのであり、逆に小さな石が集まって大きくなるということはありえません。
 もっとも「で、何か?」というところですね。


 憲法で、主権在民ははっきり規定されていますから、「君が代」を「民が代」に替えて歌えばいいんですよね。
 現実に、戦後、国歌を「民が代」とする案もまじめに議論されたそうです。

 それなら「国民の統治は永遠に」となりますし、「き」と発音したか「た」と発音したかは、読唇術の技術をもったひとでも難しいでしょう。

 それで「円満」に「万事」「解決」というのでは、あまりに「安直」でしょうか?
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