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よもやま話 バックナンバー2/2

 塩の摂取過多が高血圧を招くと問題になっています。
 もっとも、人間は、塩分不足で病気になりますし、死亡します。

 昔の人たちにとっては、塩分不足は重大問題でした。

 ローマ時代にも官吏の給料は塩で支払われたそうです。ラテン語で塩のことを「サラリウム」と呼び、これが現在の「サラリーマン」の語源となったそうです。
 それだけ、塩が貴重だったんですね。

 日本の武士は、「石高」で収入が表記されています。

 日本は島国ですから、海水からとる塩には、あまり不自由はしなかったんでしょう。
 ただ、内陸部では塩は取れません。

武田信玄が東海方面への進出を企てますが、今川氏は北条氏と協力し、武田領内への「塩留め」を行いました。何か、第二次世界大戦前のABCD包囲網を思わせます。
 武田信玄の領地は甲斐と信濃(ほぼ、山梨県と長野県)で、海に面していなかったため塩を取ることが出来ませんでした。
 越後支配する上杉謙信は、越後から信濃へ塩を送り、武田信玄を助けたということです。
「敵に塩を送る」ということわざがありますよね。
 領民が苦しむのに耐えきれなくなった武田信玄が、上杉謙信に頭を下げて、塩の輸送を頼んだのだ。 義侠心の強い謙信は「信玄と戦っているのは弓矢であって、米や塩ではない」として、塩を送らせたと言われています。
 もちろん、本当の理由は分かりません。

 塩は人間の生存に必須だったので、古くから政治的・経済的に重要で、特に中国では前漢時代より塩の専売が行われて、皇帝の財政基盤を支えていたそうです。
 日本でも、江戸時代に財政確保を目的として塩の専売制を導入する藩が多くありました。
 そう、12月14日に四十七士が討入りした忠臣蔵で知られる赤穂藩はその代表ですね。
 
 明治政府も、日露戦争の財源確保のために、塩の専売制が始まりました。
 明治38年、塩の専売制が開始され、当時はタバコなどとともに財源確保の目的の強い専売品でした。
 戦後、イオン交換膜製塩法が導入され、高純度の塩が安価に製造できるようになりましたが、従前の流下式塩田による製塩方法によるのと比べ、ミネラル分が不足しがちとなる弊害も生じました。
 人間も生物、もともとは開会で生活してきた動物の子孫ですから、ナトリウムだけでなく、海に含まれているミネラルが必要なんですね。
 平成16年から、塩の販売は自由化され、届出制となりました。
 日本各地で少数ながら流下式を基本とした製法で海塩が作られ、日本人の健康志向の高まりと相まって「自然塩ブーム」を起こしたのは皆さんご存じのとおりです。
 今でも、赤穂駅に行けば、JTではない「塩」が売られています。

 ちなみに、西欧では、海水から塩分を生成するのではなく、岩塩から採取する方法が主流です。岩塩は太古の時代海であったところが地殻変動により海水の塩分が結晶化し地層となったものです。塩は天日で干すのではなく、掘るのですね。
 ちなみに、ザルツブルク「Salzburg」は「塩の城」という意味です。
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