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よもやま話 バックナンバー2/2

毒粉ミルク

中国の「蒙牛」「伊利」「光明」「三鹿」の大手乳業メーカーの製造所が、牛乳の量を増すために、水で薄めてメラミン(構造の中心にトリアジン環を持つ有機窒素化合物の一種。ホルムアルデヒドとともに、メラミン樹脂の主原料とされます。「メラニン」(肌の色素)ではないようです)を混入し、検査にパスをした牛乳が出回って大騒ぎになっています。

 粉ミルクに使用されたため、中国の多くの乳幼児が、腎臓結石や腎不全で命を落としたり、重篤な病気に罹患しています。
 中国の報道は、成果は「膨大」に、被害は「極小」に報道しますから、現実に報道されているより大きな被害が起きていることは間違いないでしょう。
 
 元来「命の値段の安い」中国とはいえ、「一人っ子政策」をとっている中国にとって、子供が死んだり、重篤な病気に罹患するということは、大きな社会的影響があるようです。


 なお、日本でも丸大食品(子会社含む)が、メラミン混入の恐れがある中国製の牛乳を使った菓子など5商品の自主回収を行ないました。他の会社は回収しているのでしょうか。
 病院食として利用されていたので、免疫力・抵抗力の低い高齢者や病人に影響があると考えられますが、幸い、被害は報告されていません。
 なお、日本は、平成20年9月12日付けで中国からの乳及び乳製品の輸入手続を保留しています。

 メラミンが混入された粉ミルクを飲んで、結石ができたり腎不全になった中国の幼児は日本の森永砒素ミルク事件を想起させます。

 森永乳業製の粉ミルクの1953年(昭和28年)ころから、ヒ素化合物を粉ミルクに添加していた。1955年8月24日、岡山県を通じて厚生省に報告がなされ事件として発覚することとなりました。
 森永乳業は、1953年頃(昭和28年)から全国の工場で乳製品の溶解度を高めるため、安価であるという理由から工業用のヒ素を触媒にして作られた化合物(添加物)を粉ミルクに添加していましたが、1955年(昭和30年)に、徳島工場が製造した缶入り粉ミルクの製造過程で用いられた添加物・工業用の第二リン酸ソーダ中に不純物としてヒ素が含まれていたためでした。
 1956年(昭和31年)当時の厚生省の発表によると、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が出た被害者の数は、1万2300人らしいです。
 当時の日本人の命の値段も安かったのでしょう。

 私は昭和30年8月生まれ、母乳が全くでなかったため、すべて粉ミルクで育ったそうですが、森永の粉ミルクではなく、明治の粉ミルクで育ったため無事でした。すべて森永なら、今頃生きていません。

 森永ヒ素ミルクは、ある意味「過失」ですね。本来混入されるはずのないヒ素が、不純物として混入されたためですから。
 刑事事件は、業務上過失傷害罪で多数起訴されましたが、一審全員無罪、控訴審は、過失の予見可能性判断において危惧感説を採用して元製造課長1人が実刑判決を受けています。


 しかし、今回の中国の毒ミルク事件は、牛乳の量を増すため水で薄めてメラミンを混入したのですから、これは「故意」で言い訳しようがありません。殺人もしくは殺人未遂ですね。
 窃盗で死刑になる国ですから、責任者は死刑になるのでしょうか。
 それとも、裁判官に賄賂を贈って・・

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