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よもやま話 バックナンバー2/2

後講釈

 後講釈という言葉をご存じでしょうか。

 「後講釈」とは、問題や事件が終わった後で、すべてがわかっていたかのように議論することです。

 後講釈によれば、全くの素人でも「あの場面でピッチャーを代えておけばよかった」とか「あの場面でバントを命じるのはおかしい」とか、全くの素人でも野球監督や野球解説者になれます。

 「あの時点で、この株を購しておくべきである」「あの時点で、この会社の粉飾が見破れた」「サブプライム問題は予想できた」とか、誰でも、経済評論家や相場師になれます。
 私は、株は全くやりませんが、「昨年1月の本年初頭の株式相場」について日経平均2万円という予想をしていたエコノミストもいました。おおかたが、1万8000円前後だったとの記憶があります。
 しかし、平成20年2月4日現在で1万4000円を割っていますね。一時、1万2000円台のときもありました。


 弁護士の仕事でも、後から「あの時点で、この主張をするのは早すぎた」(相手に言訳のチャンスを与えてしまった)、「一審で、この書証を提出すべきだった」(控訴審では遅かった)とか、後からなら、誰でも何とでも言えます。
 もっとも、訴訟事件では、弁護士の裁量の幅が広いこと、訴訟の勝敗は依頼者からの証拠により決せられる部分が多いこと、訴訟行為と結果の間に「裁判官」という「ブラックボックス」が入っていることから、責任追及されることは、まずありません。
 破産管財人の計算違い・債権者見落としや、上訴期間徒過などは、「いいわけ」しようがありませんが・・

 医師の仕事は大変ですね。
 結果がわかっていて、レトロスペクティブに見れば、診療録、看護日誌、熱計表、CT・MRIなどの画像、血液検査・生化学検査などを見れば、どこかに予兆があることを探し出すことは難しくありません。
 裁判官が、医師の過失を認定するのも、結果がわかっているのですから、難しくありません。それで、過失を認定されたのでは、「いくらなんでも無茶やろ」という事例もあるでしょうが、最高裁判所も含め、後講釈で、医師の過失を認定することは珍しくありません。
 訴訟を恐れて、産婦人科、小児科のなり手が少なくなったり、救急患者の受け入れ拒否をしたりして、結局、自分で自分の首を絞めることになってしまいます。

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