本文へ移動

2014年バックナンバー

今年の事務所旅行

当事務所は、平成15年から、誘っていただいた法律事務所の弁護士さん、事務員さんや、司法書士の先生と一緒に、海外に年1回事務所旅行をしています。

 「事務所旅行」

 いままでの行き先は、以下のとおりです。
 平成15年はロタ島
 平成16年はソウル
  平成17年は北京
 平成18年はベトナム(不参加)
 平成19年は台湾(台北)
 平成20年は香港・マカオ
 平成21年は上海
 平成22年は釜山・慶州
 平成23年は台湾(太魯閣・高雄)
 平成24年は北京(中止)
 平成25年はカンボジア(アンコール・ワットとアンコール・トム)

 弁護士不況の中、当事務所が、いつまで事務所旅行に参加できるかどうかはわかりませんが、本年は、どうにか行けそうです。

 今年は、10月に韓国の済州島に目的地が決まりました。

 面積は、1845平方キロメートルで、大阪府の1897平方キロメートル、香川県の1876平方キロメートルと同じくらい、兵庫県の面積8396平方キロメートルの22%という小さな島です。

 済州島は、耽羅(たくら)という王国があり、耽羅からは678年(天武天皇7年)までの間に公式記録に残るだけで計9次の使節が日本を訪れ、679年(日本:天武天皇8年、新羅:文武王元年)に新羅に服属するまで朝貢を続けていたという歴史があり、高麗朝時代の1105年に耽羅郡として直轄領として組み込まれ、1244年から済州と呼ばれるようになったという歴史があります。

 歴史といえば「済州島四・三事件」という悲惨な歴史があります。

 Wikipediaによれは「歴史的に権力闘争に敗れた両班の流刑地・左遷地だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は当時の日本政府の防止策をかいくぐって日本へ出稼ぎに行き、定住する人々もいた。韓国併合後、日本統治時代の初期に同じく日本政府の禁止を破って朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。日本の敗戦後、その3分の2程は帰国したが、四・三事件発生後は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日韓国人となった人々も多い。日本へ逃れた島民の一部は大阪にコミュニティーを形成した」とされています。

 在日韓国・朝鮮人は、日本の統治時代に来た人とその子孫という「錯覚」をさせられている方おられませんか。
 終戦前後を問わず、「日本政府の防止策をかいくぐって」あるいは「密入国」という在日韓国・朝鮮人と、その子孫もいます。

 そういえば、私の、大阪に住む在日韓国人の知人(弁護士と依頼者。日本に帰化した人も含む)には、済州島出身者が多いです。


 ちなみに、私は、済州島に2度行ったことがあります。
 関西国際空港からの直行便ではなく、ソウル経由です。
 ソウルの金浦空港には、済州島行きの便を待つ修学旅行生の団体が結構多かった記憶があります。
 修学旅行の生徒たちも、旅客船ではなく、飛行機で行っていれば、今回の悲劇にあわずにすんだかも知れません。
 ちなみに、旅客船と航空機の料金を見ると、大韓航空やアシアナ航空を使えば片道2000円~3000円程度の差額、チェジュ航空を使えば、ソウルと済州島への航空機と旅客船とに値段の差はありません。


 関西国際空港から済州島には、大韓航空が定期便を飛ばしています。
 需要がないのでしょう、週7日から週4日に減便の予定だそうです。

 あまり見所はありません。
 その昔、ゴルフが日本に比べて安かったですから、ゴルフをするために済州島にでかける旅行者も多かったです。
 もっとも、日本のゴルフ場も安くなりました。

 黒豚、アワビなどの海産物の料理が有名で、ミカンなど柑橘類が採れます。ミカンつながりで、済州市は、和歌山市と姉妹都市になっています。


 そういえば、ガイドさんが「済州島は東洋のハワイです」と言ったので、私が「それなら、ハワイは太平洋の済州島か」とつっこんだことがあります。

 おそらく、ハワイの人が聞いたら怒るでしょう。

TOPへ戻る