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2014年バックナンバー

第1次世界大戦

第1次世界大戦は、1914年6月28日に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子(Franz Ferdinand von Habsburg-Lothringen)夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領。現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)にて、セルビア人青年に暗殺された、いわゆる「サラエボ事件」をきっかけに各国が次々に参戦して大戦になりました。

 ヨーロッパ連合(EU)は、平成26年6月27日、第1次世界大戦の開戦からことしで100年になるのに合わせて、激しい戦闘が行われたベルギー北西部の町イープルで式典を開き、28か国の首脳らが、大戦で亡くなった人たちを悼むとともに平和への誓いを新たにしました。

 各国首脳は1分間の黙とうをして戦死した兵士らを悼みました。

 オーストリア・ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦布告し、まもなく各国も参戦して、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国(トルコ)を中心とする同盟国側と、イギリス王国、フランス共和国、ロシア帝国を中心とする連合国側に分かれて、第一次世界大戦が始まりました。

 結果はご存じのとおりです。

 大戦は、予想をうわまわる物量戦・長期戦になったことがあります。徴兵制によって数千万の兵士が戦場にかり出され、戦車・航空機・潜水艦(Uボートが代表)や毒ガスまで使われました。 オーストリアは、今でこそ小さい国ですが、当時は大帝国でした。
 ドイツ帝国も敗北し、莫大な賠償金が、第二次世界大戦を惹起されたということです。
 ロシア帝国は、戦争中に革命が起き、ソ連になりました。

 ヨーロッパ諸国は、没落に向かってしまいます。

 日本は、日英同盟を締結していましたから、イギリス側で参戦し、ドイツに宣戦しています。
 日本は、パリ講和会議に戦勝国として参加し、ヴェルサイユ条約によりドイツの山東省権益と、パラオやマーシャル諸島などの赤道以北の南洋諸島を委任統治領として譲受けました。

 日本は、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦(太平洋戦争)は印象に残っていますが、第一次世界大戦に関心はないようです。


 ボスニア・ヘルツェゴビナは、平成26年6月28日、首都サラエボで平和を願う記念行事を開きますが、会場の記念碑にセルビア人を犯罪者扱いする文言があるとして、セルビアの首脳が出席を拒否する事態となっています。

 セルビアでは事件の100周年を機に、犯人のセルビア人・プリンツィプの銅像を建てるなど再評価の動きが強まっているそうです。
 バルカン半島を支配するオーストリアと戦った愛国者との位置付けだそうです。

 テロリストを愛国者扱いする国はあるのですね。

 もっとも、第一次世界大戦は、日本としては、日英同盟のために参戦せざるを得なかったのですが、主戦場が、遠いヨーロッパの戦争だったため、損害より利益が大きかったことも事実です。

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