2014年バックナンバー
東京電力の社員の逃亡
平成23年3月15日午前6時15分ごろ、吉田元所長が指揮をとる第一原子力発電免震重要棟2階の緊急時対策室に、2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったとの報告が届きました。
2号機の格納容器が破壊されたとすれば、福島第一原子力発電所の所員約720人が大量被曝するかもしれないという危機感が生じました。
吉田元所長は、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原子力発電構内での待機」を社内のテレビ会議で命令し、「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との指示を伝えました。
安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したということになります。
現場の最高責任者である吉田元所長は、もちろん現場を離れるつもりなどはありません。
所員約720人が大量被曝する危険があります。
しかし、現場の最高責任者である吉田元所長の命令は、現場待機です。
事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員を含む、第一原子力発電にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原子力発電へ撤退してしまいました。
コップに半分の水が入っているのを見て「もう半分しかない」と感じるか「まだ半分ある」と感じるかの問題が思い出されます。
現場の最高責任者である吉田元所長は、現場待機を命じました。もちろん、指揮を執るのは、吉田元所長です。
そして、所員の9割にあたる約650人が職務命令に違反し撤退し、所員の1割にあたる約70人が職務命令を遵守し現場にとどまったということになります。
人情としては、自分の命がほしいですから、所長以下、すべてが待避しても不思議ではありません。
しかし、最高責任者である吉田元所長は残って指揮をとり、約70名は現場に残って事故対処に当たり、職務命令に違反し撤退した約650人は、現場に戻って事故対処に当たりました。
これを「敵前逃亡者」がいたとみるか、一時「敵前逃亡」を試みたものがあったが、結局、一致して、難敵である原子力発電に立ち向かったとみるかの問題です。
私は、一時「敵前逃亡」を試みたものがあったが、結局、一致して、難敵である原子力発電事故に立ち向かったことを評価したいと思います。
もちろん、現場の最高責任者である吉田元所長は、現場で指揮をとり続けました。
「どこかの国」の船舶沈没事故とは違いますね。
「どこかの国」であれば、現場の最高責任者である所長が真っ先に逃げ、他の所員も、我先にと逃げたでしょう。
その結果、東日本が、人が住めない状態になっていたかも知れません。
日本人と、あえて名指しはしませんが「どこかの国」の人とは、明らかに異なります。