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2014年バックナンバー

レジェンド

ソチオリンピック、スキージャンプ男子のラージヒルで、葛西紀明選手(41)が、7回目の出場で個人では初めてとなるメダル、銀メダルを獲得しました。

 1992年のアルベールビルオリンピック、1994年のリレハンメルオリンピック(夏季五輪と冬季五輪の開催年が同じでしたが、ずらすために2年早く開催しました)、1998年の長野オリンピック、2002年のソルトレイクシティーオリンピック、2006年のトリノオリンピック、2010年のバンクーバーオリンピック、2014年のソチオリンピックと7大会連続7回目のオリンピック出場といいますから、すごいことですね。

 7大会連続といっても、初出場の年齢を計算するのに、41歳から7×4年を引いてはいけません。
 6大会分の24年から、縮まった2年分を減らした22年を引くことになります。
 19歳から41歳まで、連続してオリンピックに出場していたことになります。

 私自身、恥ずかしながら、年齢が41歳で出場したから「大きな話題になっている」だけだと思っていましたが、本当に銀メダルをとるだけの実力があったのですね。

 1972年の札幌オリンピックの際、ノーマルヒル(当時は「70m級」)の笠谷選手以下、日本の選手が金・銀・銅独占ということがありました。
 「日の丸飛行隊」という愛称がつけられました。
 もっとも、ラージヒル(当時は「90m級」)は、風向きの関係で、誰一人としてメダルは取れませんでした。

 それ以降も、日本はジャンプに強く、ジャンプ+クロスカントリーのノルディック複合も強かったです。
 ノルディック複合の団体などは、クロスカントリーが始まるスタート時間が数分差になり、その時点で、日本のチームの優勝が決まっているということもありました。

 それ以降、ヨーロッパの国々が、日本選手の飛距離を縮めようと、スキー板の長さに制限を加えました。
 身長、体重が小さい日本選手に不利なようにです。
 もともと、オリンピック委員会は、ヨーロッパの委員が多いですから、多数決となれば、かなうわけありません。
 なお「飛びすぎると危険」という建前ですが、スタート地点を下げればいいだけのことですから、正当な理由になっていません。

 それでも、日本は文句をいいませんでした。
 ですから、知らない人もいるかもしれません。

 また、どこの国とはいいませんが、何かにつけ、執念深く文句を言い続けるどこかの国と、日本は違って大人です。
 アジアで、ジャンプが世界レベルにあるのは、アジアの国では日本くらいでしょう。

 葛西選手は、団体で1個銀メダルを取っただけですが、ヨーロッパの国々が、日本選手の飛距離を縮めようと、スキー板の長さに制限を加えていなければ、もっと多くメダルをとれていたでしょう。

 また、スキー板のハンディキャップを克服した銀メダルですから、価値があります。 


 なお、葛西選手は、2018年のオリンピックに出場し、金メダルを目指すそうです。

 次回は、「平昌冬季オリンピック」の予定ですが、スキー場に雪があるかどうかはわかりません。

 そもそも、開催できるかどうかもわかりません。

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