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よもやま話 バックナンバー1/2

体力と知力

ボルトが100メートルを9秒69で走ります。
 しかし、同年齢の通常の男性なら、2倍の時間はかかりません。

 確かに、ハンマー投げや棒高跳びなど技術が必要なスポーツになると、競泳でも幅跳びでも、競歩でも、世界記録保持者と同年齢の若者との間に、数倍の差がつくということはありません。

 しかし、頭を使う仕事となると、頭のいい人とそうでない人との間の、難しい問題の処理能力は数倍程度ではすみません。10倍、20倍、それ以上かもしれません。
 といいますか、頭のいい人が、たやすく解ける問題が、そうでない人には、一生かかっても解けないということがあります。

 どうして、頭の良し悪しに大差がつくのに、運動技術では大差がつかないのでしょう。

 ある人の説を聞いて妙に納得した記憶があります。


 頭を使う判断は、例えてみれば、個々人の頭の中に一定の大きさの皿があり、考えると言うことは、その皿の上に、いろいろな小さなボールをのせて比較検討することをくりかえすという作業に例えられます。

 個々人の頭の中の皿は、小さいボールが5個しかのせられない皿に比べ、皿の半径が2倍であれば20個、3倍であれば45個のボールをのせて比較検討できます。

 小さいボール5個を同時に検討できる人と、小さいボール20個を同時に検討できる人とを比べることとします。
 小さいボールの載替え時間を考えると、小さいボール5個を同時に検討できる人は、小さいボール20個を同時に検討できる人の4倍の時間を要します。小さいボール45個を同時に検討できる人の9倍の時間を要します。

 小さいボール5個しか同時に検討できない人は、小さいボール5個分以上のボールの検討を必要とする問題は、いくら時間をかけても解けません。
 小さいボール20個を同時に検討できる人は、小さいボール20個分以上のボールの検討を必要とする問題は、いくら時間をかけても解けません。
小さいボール45個分以上のボールの検討を必要とする問題は、小さいボール45個同時に検討できる人にしか解けません。

 運動の能力は、1倍、2倍、3倍としか違わないのに、頭脳の能力は、1倍、4倍、9倍と大きく違っていきます。
 これが、人間の運動の能力は、単に正比例するのに対し、人間の頭脳の能力は、2乗に正比例するから、その差は埋めがたいほど大きくなるというものです。

 皿ではなくて球体なら、2乗でなくて3乗なら、もっと差が大きくなりますね。

 これで、人間の運動の能力の差はたかが知れているのに、人間の頭脳の能力の差は絶望的なくらい大きいということが説明できます。

 さあ、正しいのでしょうか。医師の意見でないことは注記しておきます。

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