よもやま話 バックナンバー1/2
他人に教えることは難しい
もちろん、本人が、東京大学や京都大学に進学できる能力があるとみられる(本人の成績などから、ひいき目にみず、客観的にみてです)場合は、東京大学生や京都大学生に頼むのは賢明です。
「それなりの大学」の学生では、家庭教師が頼りなさすぎ(受験の知識のピークは受験時といわれていますから、既に下り坂になっています)ですから、当然の話です。
しかし、そうではなく、普通の大学に進学させるため、東京大学生や京都大学生に頼むのは賢明であるとは思いません。
もとろん、自分ができるということと、他人に教えるということは別で、東京大学生や京都大学生だからといって、他人に教える能力に優れているとは限りません。
この点が一番大切なのですが「自分が当たり前のこととして受け止めたことを他人に教えるのは非常に難しい」「なぜ分からないのか分からない」ということです。
生徒が「つまづく」点は似かよっています。
学習していく過程で、「つまづき」「つまづき」してきて、それらを自分なりに克服した来た大学生は、自分が「つまづいたとき」「どのようにして克服してきたか」を思い出せばよいだけでしょう。
逆に「つまづきもせず」、「自分が当たり前のこととして理解したことがなく」「つまづく理由が分からない」という大学生は、「どうしてこんな分かりやすいことが」「なぜ分からないのか分からない」となると、まともに教えようとしても無理です。
安直に「こんな問題の時は」「こんな答えをするんだよ」と「暗記」させるしかないでしょうが、それでは応用が利きません。
昔は、司法修習生のレベルはそれなりのものがありましたから、弁護士が修習修了者から、イソ弁を採用すれば、「どうしてこんな分かりやすいことが」「なぜ分からないのか分からない」という心配はなく、通常、ちゃんとついてこられたものです。
しかし、これだけ司法修習生のレベルにばらつきが出るようになると、「どうしてこんな分かりやすいことが」「なぜ分からないのか分からない」という修習生が混ざってきます。
ロースクールの教員をしている友人の弁護士さんも多いのですが、やはり「どうしてこんな分かりやすいことが」「なぜ分からないのか分からない」という学生が、少なからずいるそうです(国立大学のロースクールの教員をしている弁護士さんの話です)。
他人に教えるというのは案外難しいものです。
教える手間がかかりすぎるのなら、自分でやった方がずっと早いし、ずっと正確だと思う弁護士さんは少なくないのですが、自分でやっていては、教えられる弁護士は、いつまでたっても進歩しません。
「なぜ分からないのか分からない」と「かんしゃく」をおこしていては身が持ちません。
事務員になら「細かい理屈は考える必要がない」「これはこうやってやればいい」「分からなければ聞いてくれ」と結論だけ覚えてもらうことが可能です。もともと、弁護士として成長しようと思っているわけではありません。
一人事務所というのは、案外「不精者」の事務所かもしれません。「一人事務所」なら、弁護士どおしの「真剣なつきあい」が不要です。裁判所と依頼者との「つきあい」で十分、それ以上はもう面倒という弁護士さんは少なくありません。