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よもやま話 バックナンバー1/2

自分へのごほうび

 「自分へのご褒美」という言葉があります。

 人間とは意思の弱い生き物です。
 さして必要でもないお金を自分のために使う時「言訳」はいくらでも思いつきます。

 この時代、生活に必要不可欠なものは、既にほとんど購入しているでしょう。

 また、生活に必要不可欠な物・サービスの購入は、「言訳」の必要は全くありません。
 生活に必要不可欠でない物・サービスの購入に、「言訳」が必要となります。

 「言訳して買ってしまう自分」に「元気を与えてくれる殺し文句」があります。
 それは「自分へのごほうび」です。

 誰が考えたのでしょうか。

 財布を開かせる「呪文」として、実にうまく練られた「殺し文句」ですね。
 「ごほうび」とは、「何か目標を達成した際に褒め称えて与えるもの」です。
 「自分への御褒美」とは、立派なことをしたことを意味する「ごほうび」という言葉が、後ろめたさを消してくれるものです。
 人は、何と言っても一番可愛いのは自分ですから、甘くなりがちです。
 何か大事(おおごと)を達成したのならともかく、「よく頑張った自分へのごほうび」など、全く意味ありませんよね。


 私は、事後に「自分へのごほうび」と言って、自分の消費行動を正当化することはしないようにしています。
 事前にある一定の目標を定め、その目標が達成されたら、「これを買おう」と事前にきめておくのです。
 例えば、貯金が○○円増えたら「○○を買おう」とか「○○しよう」とかきめておき、その目標に向かって努力し、達成されれば予定どおり、物を買ったり、サービスを買ったりするようにしています。
 その間に、物やサービスに対する興味が薄れていれば「めっけもん」です。事前にきめているのですから、他に流用することなく貯蓄に回ります。
 また、えてして、生活に必要不可欠な物ではありませんから、興味が薄れると言うことは多々あります。

 衝動買いの「正当化」のために「自分へのごほうび」いう言葉を使うのは、よくないでしょう。

 ただ、世の中が、私みたいな人ばっかりだと、経済がうまく回りません。

 各個人が浪費をやめ、貯蓄に回すことは、当該個人にとって「良い」ことですが、全体が、浪費をやめ、貯蓄に回すと、経済が悪化するという「合成の誤謬」が発生します。


 お金に困っていない人が「自分へのごほうび」で、物やサービスの購入をするのは全く問題ありません。
 問題なのは、お金もない人が「自分へのごほうび」として、借金・割賦で、物やサービスの購入をすることですね。
 「衝動買い」といいますが、「自分へのごほうび」と考える前に「具体的に」「何を達成したことへのごほうび」か、もう一度考えることをお勧めします。

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