よもやま話 バックナンバー1/2
将来の夢
私の小学校6年のクラスの文集が保管されています。粗末な紙(わら半紙)ですが、ちゃんと読めます。
文集を読むと、私の夢は、当時、和歌山市内を走っていた、南海電鉄経営の「市電」の運転手だったことがわかります。
公園前(和歌山城公園前)を中心として、JR和歌山駅(当時の・東和歌山駅)、南海和歌山市駅、南にある「車庫前」がメインルートで、支線として、和歌浦に行く線もありました。
採算がよくなく、また、昭和46年に開催された「黒潮国体」にあわせるかのように、廃止され、廃止後は、同じ南海電鉄グループの和歌山バスが、ほぼ同経路、かつ、ほぼ同じ停留所で、和歌山市内路線バスの運行を行っています。和歌山市内の幹線、とくに「けやきどおり」が御堂筋並みに幅員が広いのはそのためです。
現在も、和歌山市内のほとんどのバスが、公園前(和歌山城公園前)を通るのは当時の名残です。
また、このルート以外のバスが比較的閑散としているのも同じことです。黒潮国体のとき「国体道路」ができ、それを走るルートのバスが増えたくらいでしょうか。
ちなみに「黒潮国体」は、千葉県が3年後に控えた自分の県の国体のとき使わせてくれと頼んできたネーミングですが、先手必勝です。千葉県は「若潮国体」にしました。
ちなみに、鹿児島県は翌年「太陽国体」、高知県は21年後「よさこい国体」の愛称にしましたね。
その昔、和歌山県人が千葉に多く住み着き、故郷に似た名前の市町名(白浜・勝浦)をつけ、似た特産品(醤油)をつくり、現在は本家和歌山県が劣勢です。アメリカにお株を奪われたイギリスのようなものでしょうか。
ということで、私のなりたい職業は、職業そのものが、中学校3年でなくなってしまいました。
特に、鉄道マニアというわけでもなく、その他になりたい職業というのはありませんでした。
何となく市立中学に行き、何となく県立高校に行き、理系の科目方が文系の科目よりずっと成績がよかったのですが、「血を見るのが嫌」という単純な理由で、医学部はあきらめ法学部にしました。医学部でない工学部や理学部は「つぶしがききません」。
特に法律に興味があるわけではありませんでしたが、周りの人が司法試験や国家公務員試験の勉強をしているのを見て、2年のときから、司法試験や国家公務員試験の勉強をはじめました。
「ばかな」(法律家には禁句かも知れません)国会議員に無理難題を押しつけられる官僚のことを考えて、公務員は、割に合わないことがわかっていました。
比較的早く、司法試験に合格しましたが、何になりたいというものはなく、いつでも転職が可能な裁判官にとりあえず任官しました。
家庭の事情があり、退官して弁護士になりました。
あまり、おもしろい経歴ではないですね。
「夢」があるわけではなく、「何となく流れのままに」という感じです。
ただ、弁護士となった以上、その職務を全うしなければなりません。
裁判官・弁護士を通じて法律家30年目に突入しました。
天職といえるようになりましたね。