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2015年~2017年バックナンバー

アンネ・フランクを密告した人物は?

 アンネ・フランクの日記は結構有名です。

 

 1944年8月、ときあたかも、第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人の大量殺戮が行われていたころです。

 

 当時10代だった、ユダヤ系ドイツ人のアンネは、父オットー・フランクが過去にオフィスとして使っていたアムステルダム市内の建物の隠し部屋に潜んでいました。

 アンネ・フランクは、第2次世界大戦が終結する直前、15歳の時にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所(ドイツ・ハノーファー近郊)で死亡し、生き残った父のオットーが1947年にアンネの日記を出版し、世界的に有名になっています。

 

 フランク一家は別のユダヤ人の一家とともに2年以上も隠れていましたが、1944年8月、ドイツ秘密警察のゲシュタポに発見され、強制収容所に送られました。

 

 隠れ家にいたアンネ・フランク一家は、なぜ見つかった経緯について、米連邦捜査局(FBI)の元捜査員率いるチームが調査をはじめました。

 

 調査の責任者は、FBIでコロンビアの麻薬犯罪組織を追っていたビンス・パンコーク氏で、未解決事件の捜査に関する手法や、この10年の間に開発されたデータ分析ソフトウェアを駆使して、「誰がアンネ・フランクを裏切ったのか」という史上最大級の謎に挑むということです。

 

 オランダ警察は戦後、オットー・フランクの要請を受け、フランク一家を裏切った人物を突き止める捜査に着手しました。

 アンネ・フランク一家を裏切った可能性が指摘されてきた「容疑者」は30人に上りました。オットー・フランクは、倉庫の作業員が居所を明かしたのではないかと疑っていたが、捜査でも結論は出ませんでした。

 

 アムステルダにあるアンネ・フランク・ハウスは、平成28年、隠れ家は情報提供に基づいて捜索されたのではなく、ゲシュタポによって偶然発見された可能性があるという調査結果を公表しています。

 

 今回の「調査」は、アンネの日記や当時の記録からも情報を収集し、専用ソフトウェアでデータをスキャンして容疑者を絞込み、調査チームは捜査員のほかデータ分析やプロファイルの専門家、歴史家、犯罪学者などで構成し、一般からも情報を募り、俳優を使って過去の目撃証言や容疑者の発言を再現してもらうそうです。

 

 データ解析のためのソフトウェアは、人工知能(AI)を専門とするオランダのソフトウェア会社が提供し、調査の進捗状況についてはパンコーク氏がインターネットで報告する予定となっています。

 

 ただ、オットー・フランクやアンネ・フランクが有名であったわけではありませんし、また、アムステルダにあるアンネ・フランク・ハウスを見た人ならわかるでしょうが、どう考えても不自然なつくりになっていて、よく2年以上も隠れ続けていられたねという程度のお粗末なものです。

 

 ゲシュタポによって偶然発見されたということだと思います。

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