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カタルーニャ自治州で州独立の是非を問う住民投票
平成29年10月1日、スペイン東部カタルーニャ自治州で、州独立の是非を問う住民投票が実施されました。
独立に反対する、スペイン中央政府は、前日までに一部の投票所を封鎖しましたが、カタルーニャ州政府側は投票を強行しました。
そして、同州政府は独立国家となる権利を獲得したと宣言しました。
独立賛成派が勝利しても中央政府は結果を承認しません。混乱が深まる懸念が高まっています。
カタルーニャは独自の言語を持ち、スペインのGDPの約2割を生み出す裕福な地域であり、もともと独立の機運が高く、近年は「税収が貧しい地域に奪われている」という不満が強いところです。
これに対し、スペインの中央政府は独立を断固認めない立場で、憲法裁判所は平成29年9月上旬に投票手続きの凍結を命じ、司法当局も投票箱や投票用紙を押収するなどして妨害しました。
平成29年10月2日、カタルーニャ州政府による住民投票の結果は「独立に賛成する票が約90%」と発表されました。
プチデモン州首相はビデオで声明を出し「独立国家になる権利を得た」と独立を宣言する考えを語りました。
中央政府は認めない考えで、対立が激しくなるのは避けられません。
当たり前の話で、勝手に独立を宣言したのでは、武力で鎮圧されることを覚悟しなければなりません。
カタルーニャ地方の人々は、首都マドリードを中心とするスペイン王国への帰属意識が強くありません。
歴史的にみても、1469年、アラゴン=カタルーニャ王子フェルナンド(のちのフェルナンド2世)とカスティーリャ王女イサベル(イサベル1世として1474年に即位)が結婚し、カスティーリャとアラゴン=カタルーニャが同君連合となった年とみなされています。
つまり、アラゴン=カタルーニャと、カスティーリャが同君連合として1つの国になりました。
レコンキスタ、つまり、アラブ人のイベリア半島からの追放でおなじみですね。
ちなみに、スペインの中心はカスティーリャ、スペイン語といえば、カスティーリャ語のことをいいます。ちなみに、お菓子のカステラは、カスティーリャのポルトガル語読みといわれています。
その後、富を蓄えたカタルーニャ人の間で、自らのカタルーニャ人としての出自を誇るという意味から、カタルーニャ語・カタルーニャ文化の復活がさけばれます。ガウディは、その時代の人です。
しかし、1936年、スペイン内戦が勃発し、フランコ総統率いる反乱軍がスペイン第二共和政政府を倒しました。
フランコ総統時代には、カスティーリャ語(スペイン語)以外の言語の公での使用が大幅に制限されるなど、弾圧されました。
豊かなカタルーニャがスペインから分離独立しては困りますね。
現在は、スペインでは、カスティーリャ語(スペイン語)のほか、カタルーニャ語も自由に読み書きされています。
ほとんど「方言」くらいの違いしかないそうですが。
そして、スペイン代表チームの半分を占めるバルセロナ出身の選手は、今でも、試合前の国歌斉唱を拒否しているほどです。