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雑記帳

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台湾の地震

 令和6年4月3日午前7時58分(現地時間。日本時間8時58分)、マグニチュード7.2の地震が発生しました。
 令和6年4月5日現在で、死者10人、負傷者1067人が確認されています。
 亡くなられた方の、ご冥福をお祈りいたします。

 私は、令和6年4月3日午前7時58分、台北市のホテルで地震にあいました。
 外国で地震にあったのは2回目です。留学中のドイツのボン市で、震度1の地震にあいました。いくら地震が少ないドイツでも、2年間住んでいれば、有感地震にはあうものです。

 毎年、4月の第1週は法廷や調停が入りません。裁判官や書記官の人事異動があるからです。刑事事件や少年事件で急ぐものは処理するそうですが、私が、最後に刑事事件をあつかったのは平成13年です(業務上横領や詐欺などの刑事告訴事件は除きます)。少年事件に至っては、1件も扱ったことがありません。
 仕事がたまっていなければ、大抵、旅行に行っています。

 ということで、令和6年3月29日(金)の仕事を終えてから台湾に出発し、令和6年4月3日(水)に帰ってきました。1人旅です。
 3月29日は空港そばのホテルに宿泊し、3月30日は台湾の新幹線で高雄に行き1泊、3月31日には4時間かけて特急電車で花蓮に行き、太魯閣(たろこ)渓谷を観光して1泊しました。太魯閣渓谷には4回行っていて、かなりの強行軍ですが、これが見納めというつもりで観光しました。現実に、見納めとなるとは思いませんでした。
 4月1日に特急電車で台北に行き、台北のホテルに4月1日から4月3日まで滞在しました。

 4月3日は、台北市内の松山空港から午後1時35分の出発で、午前、龍山時に行って、空港に行こうとしましたが、午前7時58分に地震がおきました。
 ホテルに朝食はついていないので、お粥屋さんで朝食を済ませ、エレベーターに乗ろうとする直前でした。危ないタイミングでした。もっとも、エレベータは、地震発生後も何事もないかのように動いていました。エレベータ利用者がいたことにびっくりです。
 震度5弱ですから結構揺れました。
 比較的新しい建物でした。まわりを見回すと、頭を隠すところは全くなし、天井にシャンデリアなど落下するものはなく、また、飛んでくる恐れのある椅子などもありませんでしたから、コンピュータや筆記具が飛んでくる恐れのあるフロントから離れ、いつでも外に飛び出せる態勢で立って構えていました。
 うろたえてフロントから出てきた職員は、地震がおさまってから、私に英語で「日本人は違う」と言っていました。
 5階に部屋がありましたが、4階は縁起が悪いということで、3階の次が5階でしたから、実質4階です。

 エレベーターは、もちろん使いません。
 5階の部屋に戻り、台湾のニュースと、日本のNHKをみて時間をつぶしました。
 龍山寺観光どころではありません。
 スマートフォンで確認すると、松山空港からは飛行機がとんでいることがわかりました。

 少し早めに、階段を使って降りてチェックアウトし、タクシーで松山空港に行きました。
 余震で松山空港に行けなくなれば終わりです。
 チェックイン開始時刻30分前に到着したのは久しぶりです。

 死者がでたと知ったのは、空港に着いてからのことです。
 被害の大きかった花蓮の東大門夜市には行ったことがありますが、今回は行っていません。

 台北市民も地震慣れしていて、パニックにはなりませんでした。
 日本に帰国してから、日本人に死者負傷者は確認できていないとのことでしたが、私がうろたえて、転んで怪我をしていれば、負傷者0ではなくなっていました。


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