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雑記帳

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ポツダム宣言の不参加国選ぶ大学入試の問題、正答とした「ソ連」は参加していた

 福岡市にある西南学院大という大学が、令和6年2月上旬に実施した一般入試で出題ミスがあったと発表しました。

 発表では、令和6年2月5日の日本史Bで、ポツダム宣言の不参加国を選ぶ設問について、「ソビエト連邦」を正答としていましたが、同国も遅れて宣言に参加していたことから正解が存在しない状態になっていました。

 昭和20年7月、アメリカのトルーマン大統領(フランクリン・ルーズベルト大統領は、昭和20年4月に病没して、副大統領であったトルーマン大統領が大統領に就任)、イギリス(保守党のチャーチルが参加していましたが、会談中に下院選挙により、労働党アトリーが首相になったため、途中交代)、ソ連のスターリン書記長が、戦火を免れていたドイツのポツダム市のツェツィーリエンホーフ宮殿にて会談が行われました。
 議題は、ドイツの戦後処理方針、日本についての無条件降伏勧告と戦後処理方針です。

 交戦中の日本に対してはこの会談の会期中の昭和20年7月26日に、無条件降伏の勧告であるポツダム宣言が出されました。
 ポツダム宣言は、中国の蔣介石の同意を得たうえで、アメリカ、イギリスに中国を加えて発せられました。
 ソ連は日ソ中立条約があって日本に宣戦していなかったので署名しませんでした。
 ソ連はヤルタ協定の秘密条項によって昭和20年8月8日に対日参戦し、同日、ポツダム宣言の署名国となっています。

 なお、アメリカ、イギリス、ソ連は、昭和20年8月2日にポツダム協定を発表し、ドイツの4国分割管理を定めました。

 なお、日本では、ポツダム宣言の受諾による降伏日である昭和20年8月15日を終戦日としています。日本くらいでしょうか。
 世界的には、日本が戦艦ミズーリにて降伏文書に調印した昭和20年9月2日をもって、終戦日とされています。
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