2023年バックナンバー
雑記帳
電車と汽車
電車と汽車の違いは何でしょう。
この話をつきつめると、甲論乙駁(こうろんおつばく=議論がまとまらないこと)になり、収拾がつかなくなりますから、おおざっぱな話として理解下さい。
電車は、電気で走る列車ですから電車といいます。
汽車は、本来は蒸気機関車で走る列車、つまりSLです。
「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ」という童謡がありますね。
ちなみに、ディーゼルカーは、ディーゼルカーとよばれるより、汽車とよばれることが多いようです。
私は、和歌山市で生まれました。
父方の親戚は、和歌山県日高郡南部川村(現みなべ町)に住んでいますので、紀勢線で帰郷することになります。
幼いころはSLでした。当然「汽車」です。
夏の暑いときは、窓を開けるのですが、トンネルに入る直前に窓を閉めないと、煙が列車の中に入ってきます。
母方の親戚は大阪市に住んでいますので、阪和線か南海線で帰郷します。
阪和線と南海本線、いずれも、最初=線路が引かれたときから電車しか走っていませんから、当然「電車」です。
和歌山市の人は、「電車」といえば、阪和線か南海線のことを言い、「汽車」といえば、紀勢線のことを言っていました。
また、その昔、和歌山駅には「電車」「汽車」とホームへの地下通路に大きくペンキで書かれていました。
「電車で行く」といえば大阪方面、「汽車で行く」といえば、田辺・白浜方面ということが、行き先を聞かなくてもわかりました。
ただ、私が大学生だった、昭和52年に和歌山県全体がほぼ電化されましたので(現在、有田鉄道が非電化で、新宮駅と三重県境間までは非電化です)、それ以降に物心ついた人は、列車全体を「電車」というようです。
ちなみに、阪和線は、天王寺から和歌山間で、和歌山から天王寺に行く電車が「上り」です。
紀勢線は、天王寺から名古屋(全線走っている列車はありませんが・・)までですから、和歌山から田辺に行く電車が「上り」です。
また、和歌山線というのがあり(私は、あまり利用はしたことはありません。いままで、1度か2度くらいです。これから乗るということもないでしょう)、奈良県の王寺と和歌山間で、和歌山から王寺に行く電車が「上り」です。
何のことはない、和歌山発の電車はすべて上りということになります。
特に、紀勢線で和歌山から白浜に行く電車が上りとなるのが)、西村京太郎の小説に使われていました。
常識と反対になります。
今は、紛らわしいので、上り、下りとは言わなくなったようです。
この話をつきつめると、甲論乙駁(こうろんおつばく=議論がまとまらないこと)になり、収拾がつかなくなりますから、おおざっぱな話として理解下さい。
電車は、電気で走る列車ですから電車といいます。
汽車は、本来は蒸気機関車で走る列車、つまりSLです。
「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ」という童謡がありますね。
ちなみに、ディーゼルカーは、ディーゼルカーとよばれるより、汽車とよばれることが多いようです。
私は、和歌山市で生まれました。
父方の親戚は、和歌山県日高郡南部川村(現みなべ町)に住んでいますので、紀勢線で帰郷することになります。
幼いころはSLでした。当然「汽車」です。
夏の暑いときは、窓を開けるのですが、トンネルに入る直前に窓を閉めないと、煙が列車の中に入ってきます。
母方の親戚は大阪市に住んでいますので、阪和線か南海線で帰郷します。
阪和線と南海本線、いずれも、最初=線路が引かれたときから電車しか走っていませんから、当然「電車」です。
和歌山市の人は、「電車」といえば、阪和線か南海線のことを言い、「汽車」といえば、紀勢線のことを言っていました。
また、その昔、和歌山駅には「電車」「汽車」とホームへの地下通路に大きくペンキで書かれていました。
「電車で行く」といえば大阪方面、「汽車で行く」といえば、田辺・白浜方面ということが、行き先を聞かなくてもわかりました。
ただ、私が大学生だった、昭和52年に和歌山県全体がほぼ電化されましたので(現在、有田鉄道が非電化で、新宮駅と三重県境間までは非電化です)、それ以降に物心ついた人は、列車全体を「電車」というようです。
ちなみに、阪和線は、天王寺から和歌山間で、和歌山から天王寺に行く電車が「上り」です。
紀勢線は、天王寺から名古屋(全線走っている列車はありませんが・・)までですから、和歌山から田辺に行く電車が「上り」です。
また、和歌山線というのがあり(私は、あまり利用はしたことはありません。いままで、1度か2度くらいです。これから乗るということもないでしょう)、奈良県の王寺と和歌山間で、和歌山から王寺に行く電車が「上り」です。
何のことはない、和歌山発の電車はすべて上りということになります。
特に、紀勢線で和歌山から白浜に行く電車が上りとなるのが)、西村京太郎の小説に使われていました。
常識と反対になります。
今は、紛らわしいので、上り、下りとは言わなくなったようです。