2023年バックナンバー
雑記帳
欧州便 ウクライナ侵攻でロシア上空を迂回
ウクライナ侵攻によって、日本とヨーロッパを結ぶ航空機は、ロシア上空の迂回を余儀なくされています。
私がドイツ(当時の西ドイツ)に留学したのは昭和57年(1982年)から昭和59年(1984年)のことで、東西冷戦時代だった当時は、西側の航空会社はロシア(当時のソ連)上空を飛行することができませんでした。
ちなみに、ロシア(当時のソ連)上空を飛行することが危険だと一躍有名になったのは、ソ連軍による昭和58年(1983年)に発生した大韓航空撃墜事件でした。
ドイツ人の死者はいなかったとテレビで放送していました。
自国民の安否を放送するのは日本だけではありません。
新聞には、日本人の死者がいたという事が記載されていました。私なら、日系の航空会社をつかいます。
日本からヨーロッパまでノンストップでいっきに飛べる航続距離の機材がありませんでしたので、いったんアラスカのアンカレッジ空港に降りて給油する必要がありました。
北回り線が一般的でした。
当時のエコノミークラスの正規料金が40万円以上しましたが、正規料金で乗る人はあまりなく、ビジネスクラスにアップグレードしてもらった記憶があります。
当時のビジネスクラスですから、エコノミークラスに毛が生えたようなものでした。
ちなみに、当時のエコノミークラスは、ヘッドフォンが有料でした。ビジネスクラスはヘッドフォンが無料でしたが、もちろん個人用モニターなどは付いていません。
成田空港からアンカレッジ空港まで飛び、アンカレッジ空港で給油のために約3時間待ったうえで、アンカレッジ空港からハンブルク空港まで飛びました。
ハンブルク空港でケルン・ボン空港までの乗り継ぎ時間が結構あったので、ハンブルク空港でサンドイッチを買ったのですが、まずいとしか言いようがなく、このまま返ってしまおうかと思ったほどでした。もっとも、慣れというのは怖いもので、半年も経てば、同じサンドイッチを平気で食べられるようになりました。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻により、欧州連合がロシア国籍機に対し航空制裁を発すると、ロシアも直ちにロシア領空内のEU各国の飛行を禁止しました。
日本の航空会社はロシアから領空飛行を禁止されていませんが、航空機の故障時における安全性の確保を鑑みて、日本航空は「北回りヨーロッパ線」へ、全日空は、日本から、東南アジア、南アジア、中東などを経由してヨーロッパへ向かう「南回りヨーロッパ線」へ、採用ルートを変更しました。
当初はともかく、現在は、全日空、日本航空とも、適宜使い分けているようです。
航空機の航続距離も伸びたことから、給油の必要はなく、日本からヨーロッパまでノンストップで飛べますが、飛行時間長くなりました。
中央アジアの南回りルートは、ヨーロッパ発は南回りが偏西風の影響を受けて運航しやすい傾向があります。日本発は、北回りルートのほうが最適なルートになる場合が多い傾向でがあります。
このため、北、南ともに使用できる状況を構築することで、運航日によって異なる気象条件などを考慮しながら、航路を選択できることにより、運航時間を短縮し、多くの搭載貨物を含めた輸送環境を作っています。
なお、ウクライナ侵攻が始まった当初は、北回りは北緯77度を通って14時間半と、ロシア上空を通るより2時間長くかかっていました。
新たに北緯82度を通る航路を設定することで45分短縮できたそうです。
私がドイツ(当時の西ドイツ)に留学したのは昭和57年(1982年)から昭和59年(1984年)のことで、東西冷戦時代だった当時は、西側の航空会社はロシア(当時のソ連)上空を飛行することができませんでした。
ちなみに、ロシア(当時のソ連)上空を飛行することが危険だと一躍有名になったのは、ソ連軍による昭和58年(1983年)に発生した大韓航空撃墜事件でした。
ドイツ人の死者はいなかったとテレビで放送していました。
自国民の安否を放送するのは日本だけではありません。
新聞には、日本人の死者がいたという事が記載されていました。私なら、日系の航空会社をつかいます。
日本からヨーロッパまでノンストップでいっきに飛べる航続距離の機材がありませんでしたので、いったんアラスカのアンカレッジ空港に降りて給油する必要がありました。
北回り線が一般的でした。
当時のエコノミークラスの正規料金が40万円以上しましたが、正規料金で乗る人はあまりなく、ビジネスクラスにアップグレードしてもらった記憶があります。
当時のビジネスクラスですから、エコノミークラスに毛が生えたようなものでした。
ちなみに、当時のエコノミークラスは、ヘッドフォンが有料でした。ビジネスクラスはヘッドフォンが無料でしたが、もちろん個人用モニターなどは付いていません。
成田空港からアンカレッジ空港まで飛び、アンカレッジ空港で給油のために約3時間待ったうえで、アンカレッジ空港からハンブルク空港まで飛びました。
ハンブルク空港でケルン・ボン空港までの乗り継ぎ時間が結構あったので、ハンブルク空港でサンドイッチを買ったのですが、まずいとしか言いようがなく、このまま返ってしまおうかと思ったほどでした。もっとも、慣れというのは怖いもので、半年も経てば、同じサンドイッチを平気で食べられるようになりました。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻により、欧州連合がロシア国籍機に対し航空制裁を発すると、ロシアも直ちにロシア領空内のEU各国の飛行を禁止しました。
日本の航空会社はロシアから領空飛行を禁止されていませんが、航空機の故障時における安全性の確保を鑑みて、日本航空は「北回りヨーロッパ線」へ、全日空は、日本から、東南アジア、南アジア、中東などを経由してヨーロッパへ向かう「南回りヨーロッパ線」へ、採用ルートを変更しました。
当初はともかく、現在は、全日空、日本航空とも、適宜使い分けているようです。
航空機の航続距離も伸びたことから、給油の必要はなく、日本からヨーロッパまでノンストップで飛べますが、飛行時間長くなりました。
中央アジアの南回りルートは、ヨーロッパ発は南回りが偏西風の影響を受けて運航しやすい傾向があります。日本発は、北回りルートのほうが最適なルートになる場合が多い傾向でがあります。
このため、北、南ともに使用できる状況を構築することで、運航日によって異なる気象条件などを考慮しながら、航路を選択できることにより、運航時間を短縮し、多くの搭載貨物を含めた輸送環境を作っています。
なお、ウクライナ侵攻が始まった当初は、北回りは北緯77度を通って14時間半と、ロシア上空を通るより2時間長くかかっていました。
新たに北緯82度を通る航路を設定することで45分短縮できたそうです。