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2023年バックナンバー

雑記帳

煉獄

 「煉獄」といっても鬼滅の刃の登場人物(柱)ではありません。

「 煉獄(ラテン語・ purgatorium)とは、キリスト教、カトリック教会の教義のひとつ。
 カトリック教会においては、神の恵みと神との親しい交わりとを保っていながら完全に清められないままで死んだ人々は、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化の苦しみを受けるとされており、この最終的浄化を煉獄という。
 煉獄は聖書に記されてはいない。正教会では煉獄を認めない。プロテスタントも煉獄の教義を否定している。」

 フランシスコ・ザビエルが、日本でキリスト教を布教させようとしたときのことです。

 出会った日本人がフランシスコ・ザビエルに尋ねました。
 「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」と。
 つまり、自分たちは、キリスト教の洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか。
 ザビエルは回答に窮してしまい、本国への手紙に次のように書きました。「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」。
 この質問は、日本では、フランシスコザビエル以前より結構あったそうです。

 ローマ帝国は、いろいろなところで、キリスト教の布教をはかりました。
 その他の国でも同じ質問をされています。
 ボニファチウスという宣教師が、ゲルマン人のラーヂボートという部族長にキリスト教の話をしたときのことです。
 ラーヂボート部族長は「私は洗礼を受けると天国と言う非常に結構なところに行けるらしい。けれども、おれの親はどうなるのだろう」と質問すると、ボニファチウスという宣教師は「洗礼によって洗わなければ天国には行けません。地獄に行っているでしょう」と答えました。
 ラーヂボート部族長は怒って「私が洗礼を受ければ結構な天国に行けるとお前が言うけれども、親が行けないんじゃ、私はそんなところに行かなくてもいい。私はおまえが言う地獄であろうとなんであろうと、先祖代々の親のところへ行ければいいんだ」と言って、ボニファチウスという宣教師を追放したといいます。

 ローマにはそういう報告がたくさんあり、グレゴリウス法王(何世かはわかりません)は「煉獄」という考え方を作ったという説があります。
 フランシスコ・ザビエルが、日本の人に「先祖は煉獄に行っている」といったかどうかはわかりません。

 ゲルマン人は、現在のドイツ、イギリス、オランダ、デンマーク、スウェーデンなどの祖先だそうです。
 日本人と同じで、理屈っぽいですね。
 というか、そう思わない人がいるのは不思議です。

 ちなみに、韓国は3分の1がキリスト教徒のようです。自分さえよければ、先祖はどうなってもよいと考えているのでしょうか。カトリックに煉獄はありますが、プロテスタントに煉獄はありません。

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