2021年2022年バックナンバー
雑記帳
イタリア民謡
イタリア民謡といわれて、何を思い浮かべられますか。
「オー・ソレ・ミオ」「サンタ・ルチア」「帰れ、ソレントへ」「フニクリ・フニクラ」などではないでしょうか。厳密にいえば「フニクリ・フニクラ」は民謡ではありませんが・・・
イタリアは、1861年、統一国家としてのイタリア王国の成立が宣言されるなど、統一の遅れた国です。
そして、ミラノやトリノなど北イタリアは裕福な地域であり、ナポリなど南イタリアは貧しい地域です。
北イタリアと南イタリアとの貧富の差は激しく、イタリア政府としてはやはり貧富の差解消のため、南イタリアに多く投資をします。しかし、どれだけ投資しても南イタリア人は怠けるだけで、勤勉な北イタリア人の納めた血税が、南イタリア人のために使われていくという図式になっています。
北イタリア独立を掲げていた政党があります。外国人移民への排外主義や、ユーロ圏への批判の政党もあります。
日本で有名な「オー・ソレ・ミオ」「サンタ・ルチア」「帰れ、ソレントへ」はすべてナポリ民謡です。
また、「フニクリ・フニクラ」はヴェスヴィオ火山への登山鉄道の名前で、今風にいえば「CMソング」です。
何と、すべて、南イタリアの民謡やCMソングです。
北イタリアに民謡がないのでしょうか。
そんなことはありません。
そうすると、なぜ、ナポリ民謡がイタリアの代表的な民謡とされているのでしょうか。
アメリカ移民の影響といわれています。
富んだ北イタリアの人々は、新興国アメリカに移民したくありません。
これに対し、貧しい南イタリアの人たちは、新興国アメリカにでも移民しないと生活ができない人がいます。
アメリカは南イタリアの人々を移民として受け入れました。
そして、アメリカは、次第に強大な国になっていきました。
もちろん、アングロサクソンやケルト系移民のがんばりで強大になったのであり、南イタリア系移民の力がどれくらいあったかは疑問です。
ただ、アメリカで歌われるイタリア民謡が、南イタリア民謡であり、アメリカが強大になって世界の覇者となりましたから、イタリア民謡=南イタリア民謡となったようです。