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雑記帳

皇太子

 エリザベス女王が崩御し、皇太子であるチャールズ皇太子がチャールズ3世として国王に即位しました。

 イギリスの元首は、国王であって皇帝ではないですから、皇太子ではなく、王太子と呼んでよさそうなものですが、日本にもともと「王太子」という言葉や称号がなかったからという理由のようです。
 「王太子」とすると「皇太子」よりも格下の扱いになってしまうことの配慮であり、「王太子」を避け、「皇太子」と呼ぶことが慣習的に定着したようです。
 日本では一般的に、イギリスをはじめ、ほかの国々の王太子も全て「皇太子」と呼ぶ習慣があります

 皇太子は英語で「crownprince」で、王子王女のうちで、国家元首が死亡したときに国家元首となる王子王女(皇嗣)のことをいいます。
 皇室典範第8条に「皇嗣たる皇子を皇太子という」との表現があります

 必ずしも「子」に限らないわけで、世界には「皇太孫」や「皇太弟」もいます。
 秋篠宮殿下はこの「皇太弟」にはなりませんでした。
 上皇さまの退位を実現する皇室典範特例法制定の過程で議論はされましたが、秋篠宮さま自身が皇太子や皇太弟といった特別な名称に難色を示したからだといわれています。
 自分は天皇になることはなく、悠仁殿下に譲るつもりのようです。それが可能かどうかはわかりません。
 秋篠宮殿下は「皇嗣」という名称にとどめられました。

 韓国ドラマはあまりみないのですが、韓国の時代劇では「王太子」「世子」という翻訳がでてきます。
 国王の正式な後継者を指します。
 皇太子と同じ意味であすが、世界的によく使われている皇太子ではなく、朝鮮王朝ではなぜ世子と呼んだのでしょうか。

 当時の東アジアの冊封体制が関わっていました。
 東アジアの地域で圧倒的な強さを誇っていたのが、中国大陸の覇者である皇帝でした。
 朝鮮王朝の前期で言えば中国では明が支配していましたし、後期なら清が中国で君臨していました。
 明にしても清にしても、元首は皇帝を称しています。
 そして、中国の影響力を受けている周辺諸国は、唯一日本を除き、中国大陸のトップこそが唯一の皇帝であるとあがめめ、自分たちのトップについては国王と名乗ったのです。
 この場合、国王は皇帝より格が一つ下がるのです。

 朝鮮王朝は明や清と同格とは考えてはおらず、国として一歩下がって朝鮮半島を統治していました。そのため、皇帝ではなく国王を名乗り、正式な後継者は皇太子ではなく世子と呼ばれたのです。

 日本は、遅くとも、7世紀後半の第40代天武天皇陛下の時代には、「天皇」の称号が一般的に使われようになり、孫の文武天皇陛下の時代の702年に公布された大宝律令で、「天皇」の称号の使用が法的に定められます。
 また、外交文書としての使用例は、聖徳太子が随の皇帝に送った国書に「日出處天子致書日沒處天子無恙」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや)が最初とされています。
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