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雑記帳

太平洋戦争の捕虜第1号

 昭和16年12月8日、大日本帝国日本海軍機動部隊が米太平洋戦争の拠点、ハワイ・真珠湾を空襲して米艦隊と航空基地を壊滅させました。

 真珠湾攻撃は航空作戦だけではありませんでした。

 潜水艦を発進した特殊潜航艇「甲標的」5隻(乗員各2名)も、各艇2本の魚雷をもって米艦を攻撃すべく真珠湾への突入を試みていました。
 いわゆる「特攻」です。
 結果的に、特殊潜航艇「甲標的」の攻撃は失敗し、5隻とも帰還することはありませんでした。

 愛媛県佐田岬(大分方面に伸びている細長い半島。四国電力伊方原子力発電所のある半島)に、特殊潜航艇「甲標的」として参戦し、戦死した9名の兵士「九軍神」の慰霊碑が、建てられています。

 潜航艇5隻、定員1名ですから、計算が合いませんね。
 10人の乗員のうちただ1人、米軍に捕えられ捕虜となった者がいました。
 「捕虜第一号」として知られる酒巻和男少尉です。

 確かに「軍神」として祀るわけにはいきません

 ホノルルの施設に連行された酒巻少尉は、取調べを受けましたが、アメリカ軍士官は「君たちの手柄は立派です。昨日、『アリゾナ』を始め、アメリカの戦艦が3隻沈みましたよ」と言い、紳士的な態度で酒巻に接したそうですが、独房で、侵入してきた数名の米兵から激しい暴行を受けたそうです。

 日本の捕虜収容所長を裁くBC級戦犯の法廷に、捕虜虐待の証人として出廷した酒巻は、このときの米兵による暴力行為について証言しています。
 ただし、アメリカ側に不利となるこの証言は証拠として採用されずに記録から抹消され、酒巻元少尉はただちに退廷を命じられています。
 このことは当時、傍聴した新聞記者が書いた記事に残されているのみです。

 ウクライナ戦争の事を考えると、日本は、今のところ平和です。


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