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雑記帳
いろは歌
三重県立斎宮歴史博物館は、平成24年1月17日、同県明和町にある国史跡「斎宮跡」から出土した平安時代後期(11世紀末から12世紀前半)の土師器の破片に「ひらがな」としては最古のいろは歌が書かれていたと発表しました。
「万葉仮名」では、1079年成立の「金光明最勝王経音義」が、現在確認されている最も古いものだそうです。
「ひらがな」の最も古いと確認されているものよりも古いということですね。
皿型の土師器の破片4個をつなぎ合わせると縦6.7センチ、横4.3センチになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨で書かれていたそうです。
ちなみに「いろは歌」とは、文字を覚えるための手習い歌の一つで、七五調になっていて、10世紀末から11世紀中ごろに成立したと考えられています。
ひらがな表記は、
「いろはにほへと
ちりぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす」
万葉仮名ですと
「以呂波耳本へ止
千利奴流
乎和加餘多連曽津祢那良牟
有為能於久耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須」
漢字・仮名交じり文になおしますと、
「色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 けふ越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず」
なお、誰が発案したかは不明です。
弘法大師空海(774年-835年4月22日)の作との説がありますが、当時の日本語は、「47文字」ではなく、もっと数があった(同一音になったため数が少なくなった)そうですから、この説は否定されています。
「47文字」ではなく「もっと数があった」とわかる理由は、「いろは歌」は、ひらがなで47字ですが、万葉仮名では、ひらがな特定の文字について、複数の文字が「きっちり」使い分けられていて、空海の作なら、当時のすべての「ひらがな」を入れている「はず」であり、47文字ということは、47文字に統合されてからの作ということになるからだそうです。
なお、柿本人麻呂(660年ころ-720年ころ)は、もっと古い人ですから、当然否定されるということになります。
「万葉仮名」では、1079年成立の「金光明最勝王経音義」が、現在確認されている最も古いものだそうです。
「ひらがな」の最も古いと確認されているものよりも古いということですね。
皿型の土師器の破片4個をつなぎ合わせると縦6.7センチ、横4.3センチになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨で書かれていたそうです。
ちなみに「いろは歌」とは、文字を覚えるための手習い歌の一つで、七五調になっていて、10世紀末から11世紀中ごろに成立したと考えられています。
ひらがな表記は、
「いろはにほへと
ちりぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす」
万葉仮名ですと
「以呂波耳本へ止
千利奴流
乎和加餘多連曽津祢那良牟
有為能於久耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須」
漢字・仮名交じり文になおしますと、
「色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 けふ越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず」
なお、誰が発案したかは不明です。
弘法大師空海(774年-835年4月22日)の作との説がありますが、当時の日本語は、「47文字」ではなく、もっと数があった(同一音になったため数が少なくなった)そうですから、この説は否定されています。
「47文字」ではなく「もっと数があった」とわかる理由は、「いろは歌」は、ひらがなで47字ですが、万葉仮名では、ひらがな特定の文字について、複数の文字が「きっちり」使い分けられていて、空海の作なら、当時のすべての「ひらがな」を入れている「はず」であり、47文字ということは、47文字に統合されてからの作ということになるからだそうです。
なお、柿本人麻呂(660年ころ-720年ころ)は、もっと古い人ですから、当然否定されるということになります。