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2021年2022年バックナンバー

雑記帳

ロシア軍による大量虐殺

 ウクライナ軍が奪還した首都キーウ周辺の都市ブチャでロシア軍の大量虐殺があったそうです。

 ブチャ市内で、米マクサー・テクノロジーズが令和4年3月31日に撮影された衛星画像には、住宅街にある教会の敷地に掘られた縦長の穴が写っていました。
 国連の人権監視団は、ロシア軍が包囲する東部マリウポリでも、衛星画像の分析から複数の集団墓地が確認されたと発表しています。

 埋葬された人数などは明らかになっていないが、現地を訪れた米CNNは、少なくとも150人が埋葬されたとする地元警察当局や住民の証言を伝えました。

 ブチャ市長は、人口約3万7000人のブチャだけで410人の遺体を集団埋葬したと明らかにしました。
 14歳の子供も殺害されたという。路上では平服姿の市民の遺体が多数散らばっているのが確認されまし。
 ゼレンスキー大統領はキーウ周辺の惨状を「ジェノサイドだ」と非難し「後ろ手に縛られて殺害された人や拷問を受けた子供もいた」と訴えました。

 なお、一方、ロシア国防省は、殺害されたとする市民の映像について「死後硬直が見られず、ウクライナ側が西側メディア用に制作したもの」と主張しています。

 ロシアの仕業でしょうね。

 かつて、カティンの森事件がありました。

 第二次世界大戦中にソビエト連邦のスモレンスク近郊の森で約2万2000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が、虐殺された事件です。

 1943年4月にドイツ軍は、カチンの森で1940年4月頃殺害されたと推定される4443人のポーランド将校の射殺死体を発見したと発表しました。
 それに対しソ連側は、ソ連に侵攻したドイツ軍が1941年8月に殺害したものであると主張しました。
結局、ソ連は1990年4月に事件の非を認め、公式にポーランドに謝罪した。1992年10月、ロシア政府はソ連共産党がポーランド人2万人以上の虐殺を指令し、スターリンが署名した文書を公表したことで最終決着がつきました。
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