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2021年2022年バックナンバー

雑記帳

ウクライナの領土

 ウクライナの領土の変遷は、そう簡単ではないようです。

 キエフ大公国が存在したそうですが、西暦1240年にモンゴルに滅ぼされ滅亡しています。

 その後、ポーランド・リトアニア共和国、オーストリア゠ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア・ツァーリ国など、さまざまな国によって支配され、分割されたそうです。

 西暦17世紀から18世紀にかけてコサック・ヘーチマン国家が誕生しましたが、その領土は最終的にポーランドとロシア帝国の間で分割されたとあります。

 ロシア革命後、ウクライナの民族自決運動が起こり、西暦1917年6月、国際的に承認されたウクライナ人民共和国が宣言されたものの、第二次世界大戦後、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に合併され、国全体がソビエト連邦の一部となり、その後ソビエト連邦の崩壊に伴い、西暦1991年にウクライナは独立を果たしたとされています。

 首都キエフあたりは西暦1667年にロシア帝国が獲得した土地、クリミア半島あたりは西暦1768年から1792年にかけてロシア帝国が獲得した土地(一部西暦1812年)、キエフより西の土地リビウの東まであたりは西暦1772年から1795年にかけてロシア帝国が獲得した土地となっています。

 リビウ(Lviv)あたりは、第二次世界大戦で、ポーランド領からソ連領になった土地です。ポーランドの領土の変遷が右上の図です。

 また、クリミア半島は、ソ連時代に、フルシチョフがロシアからウクライナに帰属がえになっています。

 現在のウクライナは、西暦1917年6月に独立したウクライナ人民共和国に、第二次世界大戦でポーランドから割譲を受けた土地、ソ連時代に、フルシチョフがロシアからウクライナに帰属がえしたクリミア半島が加わった土地ということになります。

 いずれにせよ、ウクライナ人は、気の毒な運命をたどっています。
 2回分割され消滅したポーランドも気の毒ですが・・
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