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2020年バックナンバー

雑記帳

ル・コルビュジエ

 平成28年7月17日、ユネスコ世界遺産委員会は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定しました。
 
 構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」です。
 
 国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となりました。
 
 国立西洋美術館については、ル・コルビュジエが日本に残した唯一の建築作品であり、ル・コルビュジエが提唱した近代建築の五原則を具体的に表現していること、「無限発展美術館」の思想を体現していること、日本における近代建築運動に大きく貢献したことが評価されたそうです。
 
 ル・コルビュジエ(Le Corbusier。1887年10月6日~1965年8月27日)はスイスのラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)で生まれ、フランスで主に活躍した建築家で、本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)といいます。
 
 フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともあります)。
 
 スイス人ですから、10スイスフラン札の肖像画になっています。
 
 私の手許に、10スイスフラン札、20スイスフラン札、50スイスフラン札、100スイスフラン札がありますが、間違いなく10フラン札にえがかれています。

 なぜか日本では余り報道されませんが、ル・コルビュジエは、ナチス・ドイツの協力者です。
 
 第二次世界大戦中パリはナチスドイツに占領され、フランス政府は傀儡政権をヴィシー(Vichy)という地方に置いていました。
 
 52歳だったル・コルビュジェは、パリからヴィシーに引越して協力を申出ています。
 これは、ヒットラーを認め、フランスを裏切る行為でした。
 またイタリアのムッソリーニにも接触していたようです。
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