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2020年バックナンバー

雑記帳

江戸時代の火事と消火方法

 現在の消防署の消火活動は火災現場で水を噴射するというものです。
 
 昔はそうだったでしょうか。
 
 江戸時代の家屋はほとんど木造です。
 当時の建物は木と紙でできていて、現代のように防火壁などないので、とても燃えやすいものでした。
 さらに、長屋づくりで、狭い土地に密集して町ができていたために、一度火災が発生するとあっというまに近隣にまで燃え広がってしまいます。
 
  江戸の街は人口が集中し、建物が密集していたために、火事が多く、しかも規模も大きくなりました。
 
 消防団員として活躍するのは主に建設作業に携わる町人たちでした。
 建物の構造や道具の使い方を熟知した人たちです。
 なぜでしょう。
 
 「火消」という名前ではあるものの、実際に火を消すことはめったにありませんでした。
 江戸時代には人口が密集しているのに対して水道設備が追付かず、江戸の街は慢性的な水不足に悩まされていました。
 消そうにも水がないというのが現実です。
 ポンプもホースもありません。
 せいぜい桶でくんだ水をかけるだけです。焼け石に水ですね。
 
 火消の主な仕事は、延焼を最小限に食い止めることです。そのための破壊活動を行いました。
 そのため、長鳶口(ながとびぐち)と呼ばれる、鎌を大きくしたような道具や、大のこぎりなどを使いこなせる鳶職などの専門家が火消の中心メンバーとなり、火を消すのではなく、火元を破壊したり、隣の家をつぶしたりして、火事の広がりを抑えたのです。
 
 安田火災海上保険という会社がありました。
 ゴッホの「ひまわり」を購入したという記憶がある方も多いでしょう。
 日産火災海上保険が合併して損害保険ジャパンになり、日本興亜損害保険と合併して損害保険ジャパン日本興亜になっています。
 
 安田火災のマークは右上のマークでした。
 
 延焼を最小限に食い止めるため、近辺の家屋の破壊活動を行うための道具です。

 武漢発といわれる新型コロナウィルスが蔓延しています。
 
 中国政府は、武漢を封鎖したうえ、武漢内に突貫工事で病院をつくりました。
 
 中を見ると、個室ではなく壁がないのはもちろん、他の患者との「しきり」もなく、他の感染者からうつしてもらって結構ですというようなつくりです。
 
 ウイルスは、宿主が死滅すれば死滅します。
 
 ここからは、新設された「病院」は、私の想像ですによれば、実質治療するための病院ではなく、武漢市内の新型コロナウィルス患者の隔離収容所のようにみえます。少なくとも、鉄格子で外に出られなくしている病院はありません。
 
 新設された「病院」の患者は、全員死んでもやむを得ない、全員死亡すれば新型コロナウィルスの拡大はとめられるという考えではないでしょうか。宿主がいなくなれば、ウィルスは死滅します。
 
 江戸時代の火消しが、火元を破壊したり、隣の家をつぶしたりして、火事の広がりを抑えたと同様、武漢市内の患者を治療するのではなく、隔離収容所が死亡するのをまって、ウィルスが死滅する目的で建造したとしか思えません。
 
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