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2020年バックナンバー

雑記帳

阪神淡路大震災から四半世紀が経過

 阪神淡路大震災は、平成7年(1995年)1月17日に発生しました。
 
 令和2年(2020年)1月17日25年が経過しました。
 6434人の尊い命が犠牲になったとのこと、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
 阪神淡路大震災の時、私は、現在の西宮市に転居する前でした。
 
 自宅でたたき起こされ、テレビを見ると、神戸の震度が表示されていません。神戸が震源か被害が大きいと直感して、神戸市北区に住む親戚に電話をかけました。地震直後のことですから、電話がつながり、家屋の損壊はすごいけれど、誰も怪我がなく無事との答えがあり、ほっとした記憶があります。
 
 ところで、阪神地区には、兵庫県弁護士会(当時・神戸弁護士会)会員だけではなく、大阪弁護士会会員も多く住んでいましたし、現在も住んでいます。
 
 しかし、数多い弁護士と同居の家族は、1人も死亡していません。
 
 理由の1つには、海側ではなく山側の方に多く住んでいたことと、住んでいる家が比較的丈夫だったことがあげられています。
 
 残念ながら、資力の差が、命の差につながりました。
 弁護士は、高価な、高台のしっかりした家に住んでいる人が多かったということです。
 
 理由の、もう1つは、弁護士は「運」がいいということです。
 25年前といえば、司法試験合格者500人時代のことです。実力だけでは合格しませんよね。運がよくなければ。
 当時の大阪弁護士会事務局長さんが「さすが弁護士さん。司法試験を合格しているだけあって『運がいい』」と言われていたのを記憶しています。
 
 私は、震災当日、阪神地区にそんな大きな被害がでていると知らずに、南海本線で大阪地方裁判所の口頭弁論期日に出かけました。
 相手方の弁護士と、法廷の前であったのですが、京阪電車で来たとのことでした。
 結局、裁判所職員から「今日法廷なんかできるわけない」「余震の危険があるから帰られた方がいいですよ」といわれ、双方とも、そのまま帰宅しました。
 
 あとで、テレビを見ると「壮絶」の一語でした。
 
 阪神高速が倒れたり、折れた阪神高速のところに半分自動車が残って停止していたり、ビルが横倒しになったり、大規模な火事になったり。
 
 記憶では、死者・行方不明者何人という報道はされていましたが、死者が搬送されているシーンは放送されていなかったように記憶しています。
 
 現在、私は、西宮市に転居していますが、当時の状況が嘘のように復興しています。
 
 ちなみに、現在の自宅の土地購入の選定基準の一つは、10メートルほど西に離れたところに老朽化したアパートが建っていたということでした。
 震災で古アパートが健在であったということは、震災被害にさほどあわなかったということですね。
 
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