2019年バックナンバー
雑記帳
宇高連絡船運休
令和元年11月11日、109年にわたって続いてきた高松―宇野(岡山県玉野市)間の宇高航路で唯一運航していた四国急行フェリーが、国土交通省四国運輸局に、令和元年12月16日からの休止を届出ました。
四国急行フェリーが高松市内で記者会見を開き、瀬戸大橋に客を奪われ、累積赤字を抱えていた厳しい台所事情を説明して理解を求めました。
昭和63年の瀬戸大橋開通後、通行料金の値下げなどが進んだ影響で、開通当時約400万人にだった旅客人数は、平成30年度は約13万6000人に減少したそうです。
瀬戸大橋の開通当時の高速料金であれば、フェリーも存続したかも知れませんが、高速料金が安くなりすぎました。
赤字続きではフェリー運航の意味はありませんし、香川県、岡山県と高松市、玉野市が年計1500万円の助成していますが、焼け石に水です。
毎年の赤字が1億円を超えるということですから。
私は、昭和59年から昭和61年まで高松地方裁判所で勤務していました。
瀬戸大橋開通前ですから、当然、宇高連絡船です。
瀬戸大橋開通前ですから、当然、宇高連絡船です。
岡山駅までは新幹線で行けるのですが、岡山から宇野駅までが単線で、ぎゅうぎゅう詰めでした。座れるという保証はありません。
また、宇高連絡船の中には、讃岐うどんの販売コーナーがありました。
高松市内の値段より高いのですが、結構、はやっていました。
高松市内の値段より高いのですが、結構、はやっていました。
どこかで見た光景だと思ったのですが、留学のためアンカレッジ経由でドイツに行くとき、アンカレッジ空港に、うどん店がありました。
とんでもない値段なのですが、結構、はやっていました。
とんでもない値段なのですが、結構、はやっていました。
昭和63年の瀬戸大橋開通後、令和元年まで、よく続いたものです。