外国事情 バックナンバー2/2
東ベルリン
飛行機なら、ケルン・ボン空港からでも、フランクフルト空港からでも、デュッセルドルフ空港からでも、簡単に西ベルリンに入れました。
ただ、西ベルリンの統治国(沖縄の統治国はアメリカでしたよね)は、ドイツではなく、アメリカ、フランス、イギリスです。
ですから、ルフトハンザ機が飛ぶことは許されず、パンナム機、エールフランス機、ブリティッシュエアー機のみが西ベルリンに飛んでいました。
陸路は、西ドイツから、西ベルリンまで、ドアが開きません。
完全に隔離された列車です。もっとも、乗客が外へ出るのを恐れたのではなく、東ドイツ人が列車に乗ることを恐れたのです。
外国人が、西ベルリンから東ベルリンに入るにはどうすればよかったでしょう。
電車なら、Sバーン(近郊電車)を利用し、フリードリヒ・シュトラーセという東ベルリンの駅に行き、1日ビザを取って東ベルリンへ入るというのが普通のルートでした。
自動車なら、チェックポイントチャーリー(C検問所)でした。
Sバーンで行っても、結構厳しい検問がありますが、日本人は、そんなに聞かれません。
ドイツ語がわかるとなると、あやしい勘ぐられる恐れがありますから、稚拙な英語のみしか使えない「お上りさん」の「日本人」をふりをしないと損です。ドイツ語で聞かれて、間髪を入れず、ドイツ語はもちろん、英語で答えるのもNGです。
ドイツ語で「どうぞ、行っていですよ」と言われたからといって、すぐ行動を起こしてはいけません。
ちなみに、1日ビザをもらうために、25ドイツマルクを、25東ドイツマルクに強制両替させられました。
1マルク=4東ドイツマルク程度の価値ですが・・
現在世界遺産に指定されている、ペルガモン博物館等のある「ミュージアムの島」が、東ドイツにありました。ブランデンブルク門の正面は東ドイツです。
やはり、行ってみるだけの価値はあります。
25マルク使用しようとしたら「しんどかった」記憶があります。
そもそも、買うものがないんですよね。
無理に、トランプ2組を購入して、やっとノルマ達成でした。
端数は、西ドイツマルクは大感激で受取ってもらいました。
街を歩いていると、ある厚かましい両替商が、ドイツ語で「1マルクを1ドイツマルクに替えてくれないか、それなら刑罰はない」ということですが、私にとって、何のメリットもありません。結局、丁重にお断りしました。
なぜ、どうみても「おのぼりさんの日本人」の私が、ドイツ語を理解できることがわかったのかはわかりません。みんなに声をかけていたのでしょうか。
西ベルリンの繁栄ぶりと、東ベルリンの「みじめさ」は、明らかでした。
東ドイツは、旧東側の国の優等生ですが、それでも社会主義はだめだったんですね。
なお、西ドイツから、東ベルリン1日ツアーがでていました。
英語のみですが、25東ドイツマルクの強制両替はないし、英語ガイドがつくし、かなり「お得」なようです。
もっとも「はぐれたりしたら」大変です。自力では帰れませんね。
参加者は、真剣な顔で、ガイドさんの後ろをついていっていました。