よもやま話 バックナンバー1/2
人を食う
中国では「羊頭狗肉」という慣用句もありますし「中国人は、飛ぶものは飛行機以外、四足のものは机以外何でも食べる」と言われています。
日本にも大昔には犬を食べていたという記録があるそうです。
韓国では、ポシンタン(補身湯)といって、当たり前のように「犬肉料理」があるそうです。1988年のオリンピックの時は、目抜きどおりから追いやられたそうですが・・
「犬」を食べたからと言って、健康被害があるわけではありません。
現代の日本人や欧米人が食べないのは、犬が、ペットとして身近なため、「人食」(カニバリズム・Cannibalism)を連想させるからだと言われています。
日本でも「鯨」を食べるということが「野蛮」だという非難がありますよね。「鯨のこはくあげ」は、私の小学校時代の給食の定番メニューですが、あまりおいしくなかったすね。今は、鯨は結構高価ですが、安くても食べたいとは思いません。一生分小学校の給食で食べた気がします。
さて、「人を食う」という言葉がありますね。
「食う」というのは相手を飲み込む行為です。
そこから、相手を「からかう」する表現として「食う」が使われてきたのです。
ある意味、ユーモアの一種である、「ギャグ」「だじゃれ」などより複雑で、知的な言葉遊びである「冗談」「風刺」によって、オブラートに包んだ感じで、相手の言葉・態度に対し「やんわり」「鋭い観察や批判」を表現することを意味します。
「皮肉」「おちょくり」には「皮肉」「おちょくり」で返す、これぞ「関西人のユーモア」ですね。
訴訟などの準備書面でも、相手の主張を、単に批判して、単に「攻撃する」「なじる」主張より、相手の主張などを「皮肉」「おちょくり」の主張がも一方法でしょう。「おちょくりかえす」余裕もなく、食ってかかる弁護士さんは無粋のように思います。
関西人の法律家どおし、「皮肉」「おちょくり」には「皮肉」「おちょくり」で返すだけの「度量」をもつようになってほしいと思います。
ちなみに、政治家でも、「正論一辺倒」ということよりも、「ユーモア」を交える人の方が好感が持てますね。
もっとも、政治家の場合は「失言」ととられ、政治家として不利になる場合があります。