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コール元ドイツ連邦首相の死去

 平成29年6月16日、平成2年(1990年)の「東西ドイツ統一」を主導したヘルムート・コール元ドイツ連邦首相が死去しました。87歳でした。
 
 コール元ドイツ連邦首相は、1973年にCDU(キリスト教民主同盟)党首に就任しました。
 
 1982年9月、財政再建・新自由主義を取るか社会保障・社会民主主義を取るかで、連立与党であるSPD(社会民主党)とFDP(自由民主党)とが決裂しました。
 
 記憶は定かではないのですが、連邦を構成する州の1つが、SPDとFDPの連立政権から、CDUとFDPの連立政権への組み替えがあった記憶があります。
 
 コールCDU党首は、すかさずFDPと連立協議し、1982年10月1日にヘルムート・シュミット首相に対する建設的不信任決議案を提出し可決されました。
 
 ドイツでは、建設的不信任決議案、つまり連邦議会議員の過半数が支持する次期連邦首相を選ばずに、内閣不信任案動議が提出できませんから、次期連邦首相は、必ず、連邦議会議員の過半数の支持のもとに出発します。
 
 建設的不信任決議案により、シュミット連邦首相の罷免と、コールCDU党首の第6代連邦首相就任が決まりました。
 
 私は、1982年6月から1984年6月までドイツに留学していました。
 
 1982年10月1日の連邦議会での演説をテレビのライブで聞いていました。
 
 罷免されるシュミット連邦首相の演説は、連立組替えで連邦首相の座を追われるのは納得がいかない、連邦議会選挙をすべきであるという、若干、めめしいものでした。
 コールCDU党首の演説は冷静でした。
 
 結果的に、なれ合い総選挙になったのですが、コール新連邦首相のCDUとCSUの勝利でした。
 
 1982年から1998年までの4期16年の長期政権でした。
 
 ちなみに、ドイツの連邦議会では、小選挙区比例代表重複立候補という日本の衆議院と似た仕組みがとられていますが、コール元連邦首相は、選挙区がSPDの強い選挙区だったので、小選挙区では敗北、比例代表で当選することのほうがずっと多かった政治家でした。日本流に言うと「ゾンビ議員」が連邦首相をつとめていたことになります。
 
 1990年の「東西ドイツ統一」を成し遂げました。
 西ドイツが旧東ドイツを吸収合併しました。
 
 いまだに、旧西ドイツと旧東ドイツでは経済格差があります。
 旧東ドイツ救済名目の「連帯税」は、今でも徴収されています。
 今年の盆休みのためのルフトハンザの航空券をもっているのですが、しっかり「連帯税」が徴収されています。
 
 統一後初の総選挙にも勝利し、当時、連邦議会議員になったばかりだったアンゲラ・メルケル現連邦首相を女性・青年相として入閣させるなどしました。
 
 他方、経済的格差などから旧東ドイツ地域の再建に苦戦し、1998年の連邦議会議員選挙でシュレーダー氏が率いる社会民主党(SPD)に敗れ、退陣に追い込まれました。
 
 1999年に首相在任中の闇献金疑惑が発覚しました。
 
 疑惑はメルケル現連邦首相らが追及し、コール氏が出所不明の約210万マルク(約1億円)を受けとっていたことが明らかになりました。
 
 司法取引で捜査は終結し、政治生命は完全に断たれました。

 メルケル連邦首相は、コール元連邦首相の死にあたり、コメントを発表し「コール氏は私の人生を決定付けました。彼に哀悼の意を捧げます」と追悼しましたが「よく言うよ」ということですね。
 
 メルケル連邦首相は、平成29年の選挙で勝利すれば、コール元連邦首相の在任期間と並びます。
 
 徹底的に、ライバルの政治家を追い落としていますから(最初の犠牲者が、コール元連邦首相ともいわれています)、連邦首相の地位を保てているわけです。
 
 怖い話ですね。
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