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2015年~2017年バックナンバー

高野山

平成27年4月2日から始まる高野山開創1200年記念大法会に合わせ、南海電鉄が高野山駅駅舎で進めていた改装工事が完了し、平成27年22日、関係者ら約100人が出席して記念行事が行われました。

 ケーブルカー(鋼索鉄道。索軸鉄道)の同駅は、昭和5年に開業し、木造2階建の駅舎は国登録有形文化財ですが、改修により外観が変化したため、開業当時の趣のあるデザインに近づけて参拝者を迎えようと、昨夏から工事を進めていました。

 この日の式典では、南海電鉄の金森鉄道営業本部長が「駅舎が昔の姿を取り戻してうれしい。これを機に、さらに乗客の安全輸送に努めたい」とあいさつし、高野山の僧らが安全祈願をし、テープカットを行った後、大法会のマスコットキャラクター「こうやくん」が1日駅長に任命され、おどけたしぐさで参拝者らとの記念撮影に応じていたそうです。

 ちなみに、私は、自動車(バスを含む)でしかいったことがありません。

 和歌山県の「ゆるキャラ」は、「こうやくん」と「吉宗くん」が有名です。

 今年、久しぶりに高野山に出かけてみようと思います。

 母方のご先祖さんの墓が、高野山の奥の院にあります。

 私の母方の曾祖父(昭和4年没)が、記載した地図のコピーが手許にあります。
 私が司法修習生のヒマなとき、この地図をもって高野山にいって、母方のご先祖様の墓にお参りしたことがあります。

 小さな古ぼけた墓でした。
 手許にある地図の字が読みづらいところは「○」にしておきます。
 今年参拝したとき、「○」が、何という字か確かめてみます。

 表「先祖群○墓」
 右「○○山縣郡加計村 佐々木氏」
 左「文化十一 甲戊 歳 七月再建立」
 后「宿坊 泰雲院」

 弘法大師の霊廟からすぐ近くですから、昔は、羽振りがよかったのでしょう。
 なお、もともと近江国の武士で、安芸国に住むようになったそうです。

 文化11年は、十干十二支で「甲戊」、西暦1814年になります。
 西暦1814年に再建立ですから、ずっと前から墓があったのでしょう。
 現在、宿坊は「龍泉院」となっているようです。
 母方の長兄(大正15年生。存命)が、管理しています。

 「山県郡加計村」は合併により「山県郡加計町」に、「山県郡加計町」は合併により「山県郡安芸太田町」になっています。
 祖父は、広島県の出身で、大阪に出てきて、死亡するまで大阪で住んでいました。
 私の言葉には「少し」広島弁(というより「単語」)が混ざっています。
 母の本籍は「廣島県山縣郡加計町」から「和歌山県日高郡南部川村」に移転しています。

 親戚は、いまでも「山県郡安芸太田町」にいるようです。
 インターネットで検索すると(「加計」「佐々木」)簡単に出てきます。
 ただ、高野山奥の院の墓は、伯父が守っています。

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