2015年~2017年バックナンバー
高野山
ケーブルカー(鋼索鉄道。索軸鉄道)の同駅は、昭和5年に開業し、木造2階建の駅舎は国登録有形文化財ですが、改修により外観が変化したため、開業当時の趣のあるデザインに近づけて参拝者を迎えようと、昨夏から工事を進めていました。
この日の式典では、南海電鉄の金森鉄道営業本部長が「駅舎が昔の姿を取り戻してうれしい。これを機に、さらに乗客の安全輸送に努めたい」とあいさつし、高野山の僧らが安全祈願をし、テープカットを行った後、大法会のマスコットキャラクター「こうやくん」が1日駅長に任命され、おどけたしぐさで参拝者らとの記念撮影に応じていたそうです。
ちなみに、私は、自動車(バスを含む)でしかいったことがありません。
和歌山県の「ゆるキャラ」は、「こうやくん」と「吉宗くん」が有名です。
今年、久しぶりに高野山に出かけてみようと思います。
母方のご先祖さんの墓が、高野山の奥の院にあります。
私の母方の曾祖父(昭和4年没)が、記載した地図のコピーが手許にあります。
私が司法修習生のヒマなとき、この地図をもって高野山にいって、母方のご先祖様の墓にお参りしたことがあります。
小さな古ぼけた墓でした。
手許にある地図の字が読みづらいところは「○」にしておきます。
今年参拝したとき、「○」が、何という字か確かめてみます。
表「先祖群○墓」
右「○○山縣郡加計村 佐々木氏」
左「文化十一 甲戊 歳 七月再建立」
后「宿坊 泰雲院」
弘法大師の霊廟からすぐ近くですから、昔は、羽振りがよかったのでしょう。
なお、もともと近江国の武士で、安芸国に住むようになったそうです。
文化11年は、十干十二支で「甲戊」、西暦1814年になります。
西暦1814年に再建立ですから、ずっと前から墓があったのでしょう。
現在、宿坊は「龍泉院」となっているようです。
母方の長兄(大正15年生。存命)が、管理しています。
「山県郡加計村」は合併により「山県郡加計町」に、「山県郡加計町」は合併により「山県郡安芸太田町」になっています。
祖父は、広島県の出身で、大阪に出てきて、死亡するまで大阪で住んでいました。
私の言葉には「少し」広島弁(というより「単語」)が混ざっています。
母の本籍は「廣島県山縣郡加計町」から「和歌山県日高郡南部川村」に移転しています。
親戚は、いまでも「山県郡安芸太田町」にいるようです。
インターネットで検索すると(「加計」「佐々木」)簡単に出てきます。
ただ、高野山奥の院の墓は、伯父が守っています。