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2018年バックナンバー

雑記帳

十二支十干

 60歳を、なぜ「還暦」というのでしょう。
  暦が一巡りするという意味です。

 

 十干があります。

 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸ですね。
 音読みでは「こう」「おつ」「へい」「てい」「ぼ」「き」「こう」「しん」「じん」「き」と読み、訓読みにすると「きのえ」「きのと」「ひのえ」「ひのと」「つちのえ」「つちのと」「かのえ」「かのと」「みずのえ」「みずのと」と読みます。 

 

 十二支があります。
 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥ですね。
 もちろん動物の名前です。
 韓国や中国では「亥」は「豚」です。いのししは、野生の豚で、いのししと豚の間には子ができますが(イノブタ)、イノブタには子ができません。

 

 また、日本は新暦ですが、中国などは旧暦だそうで、同じ生年月日の人でも、新正月と旧正月との間に生まれた人は、日本人と中国人で「干支」が違うということがあり得ます。

 

 十二支と十干を組み合わして年代を表現します。

 

 西暦なら単純ですが、改元のある元号は、ころころかわります。

 また、複数の国で複数の元号があり、中国が統一王朝でなかったころは、同一時代に、複数の元号が併存することもありました。

 

 十二支十干は、どこの国でも「客観的に」年号を表記できます。
 60年も同じ干支の年がこないので、区別するには十分ですね。人間も60年生きれば十分というわけではないでしょうが、15歳の子供と75歳の高齢者をみれば、同じ干支でも、何年に生まれたかは分かります。

 

 「甲子」(きのえね)(ちなみに、甲子園は、甲子(きのえね=大正3年に建築されました)ではじまり、「癸亥」(みずのとい)で終わります。

 

 12×10で120年表せるのではないかというわけではありません。

 12と10の最小公倍数の「60とおり」しかありません。
 「甲丑」などは存在しませんから・・

 

 昔は、元号の他、十二支十干で年号をあらわしていました。
 「辛亥革命」「戊辰戦争」などといいますよね。

 

 明治時代、戸籍制度が取りいれられた時、元号の横に十二支十干を念のため付記した地方自治体もあります。

 

 明治時代に戸籍が導入されたころ、元号より十二支十干がポピュラーで一般に用いられていましたし、天保が1845年まで、明治は1868年から、その間に、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応とめまぐるしく変わっていますし、年途中に元号が変わりますから、元号換算の時の誤記をさけるため、十二支十干を付記したものと考えられています。

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