2018年バックナンバー
雑記帳
東洋経済online・セクハラ醜聞が暴いた「不健全な取材」の実態
東洋経済online・セクハラ醜聞が暴いた「不健全な取材」の実態
----引用開始---
(前略)
19日午前0時から開かれた記者会見で、テレビ朝日はセクハラを訴えた女性記者がその事実を報道したいと上司に相談したが、2次被害の恐れからそれは難しいと判断。その結果、女性記者が週刊新潮に持ち込んだものだと表明した。
「被害者」が明らかにされたことで、福田次官の「週刊誌に掲載された私の記事は事実と異なる」という主張は通じなくなった。
さらにテレビ朝日が社員のセクハラ被害について、適切な措置をとっていなかったことも明らかになった。
しかしながらこれでセクハラの全容が明らかにされたわけではない。大手メディアの中には、若い女性記者を「くの一」として使っているところもあり、その点では同じ穴のむじなでもある。
(中略)
自ら積極的に「くの一」を買って出る記者もいないわけではないだろう。だが多くの場合、必ずしも意欲的にそうしたいとは思っていないはずだ。
今回の女性記者の場合も、「週刊新潮」の記事には相手に対する嫌悪感が溢れていた。若い女性ならもっともな反応だ。
ところがこうしたセクハラでは、「加害者」たる本人がそれに気付かない。むしろ「他の人間が同じことをやればセクハラになるだろうが、自分は清潔感があるからセクハラではない」と信じていることが多いようだ。被害者が黙っているのは本人に魅力や清潔感があるからではなく、力関係が大きな理由だという事実に気付いていないのだ。
(中略)
いまだ男尊女卑の風潮が残る政治の世界だが、果たしてこれを機に変化は見られるのだろうか。取材される側とともに取材する側の大手メディアも、重い課題を投げかけられている。
----引用終了---
マスメディアは、政治家や官僚の番記者として、女性記者を、いわゆる「きれいどころ」や「くの一」として、情報収集に利用しているというが実態のようで、今回のテレビ朝日のように、マスメディアは、女性記者からのセクハラの訴えがあっても、政治家や官僚に対し抗議するなり、女性記者を配置転換をするでもなく、ただ「我慢をするように」となだめすかしてて、利用し続けるケースが多いようです。
そのような悪習は是正されるべきでしょう。
また、テレビ朝日が「被害者面」をするというのも信じられません。報告を受けるたび、財務省に抗議して、担当者を配置転換させるのが筋かと思います。
福田前次官は、自分には男性としての魅力があると過信していたのでしょうね。
女性記者本人が本気で嫌がっているとは思わず、自分に好意を持っているから名乗り出るはずがないとの「自信」があったのでしょう。
単に、権力があるというだけで、女性記者が職務の遂行の一貫として酒席をともにしているのに、自分に好意を寄せているという全くの勘違いという「お笑い」ということでしょう。
ついでですが、福田前次官が「自分の声ではない」と考えてしまうのは無理はありません。異常でも何でもありません。
「声」は周りの人には空気の振動で伝わりますが、自分自身には、骨伝導で体中を伝わります。
普段聞き慣れている「自分の声」というのは、声帯で発生した振動が骨伝導で体内を通り、内耳の蝸牛まで直接伝わったものです。
骨伝導は低い音を伝えやすい性質があります。
自分自身が聞いている「自分の声(体内を伝わって聞こえている声)」は、基本的に周りが聞いている「自分の声(空気中を伝わる他人へ伝わる声)」よりも低く・太く感じます。
私も、職務上、相手と自分の会話や電話などの録音をして、再生してみると、自分の声が「えらい高い声やなあ」と思うことがよくあります。