本文へ移動

2018年バックナンバー

雑記帳

ケムニッツの暴動

 ドイツのザクセン州(旧・東ドイツ)ケムニッツ市(Chemnitz)で、平成30年8月26日、35歳のドイツ人男性が、2人の難民(イラク出身とシリア出身)にナイフで殺害されました。

 

 他の共犯者とされるイラク人の容疑者を捜査中だそうです。

 

 極右派と右派は、平成30年8月27日のデモでは約6000人が結集し、「メルケル退陣せよ」、「難民殺到を止めろ」と書かれたプラカードを掲げ、ビンや花火玉を極左活動グループや警察部隊に向けて投げるなどして暴れました。

 

 平成30年9月1日のデモでは右派・極右派は約8000人、反右派・極右派は約3000人がデモに参加、両サイドはその動員力を強めています。

 

 両グループの衝突により18人が重軽傷を負っています。

 

 シュタインマイアー連邦大統領(SPD)は、自身のフェイスブックを通じてケムニッツ市の平成30年9月3日の無料コンサートへの参加を呼びかけ、国民に右派・極右過激派の外国人排斥、反難民に抗議するよう異例の呼びかけをしました。

 

 なお、ドイツの連邦大統領は、公平中立、政治に関与してはならないというわけではありません。

 

 ケムニッツ市の右派・極右派のデモはドイツ全土に大きな影響を与えるまでになっています。

 

 ケムニッツ市が、右派・極右派、左派・極左派など、極端な思想の持主が多いことについては、歴史的な理由があります。

 

 ケムニッツ市は、旧東ドイツであったザクセン州の都市で、旧東ドイツの州は、失業率も高く、いわば旧西ドイツの人から「二流市民」扱いをされているのではという不満をいだいています。

 

 どうしても、極右、極左にはしってしまうのですね。

 

 メルケル連邦首相は「路上で外国人を襲撃することは法治国家として絶対に認められない」と指摘し、極右やネオナチたちの外国人襲撃を厳しく批判しましたが、ドイツの雑誌であるシュピーゲル誌によりますと、旧東ドイツ出身のメルケル連邦首相は、旧東ドイツでは最も嫌われている政治家と指摘しています。

 

 「旧東ドイツ出身なのに、彼らの心を理解していない」と受取られているということのようです。

 

 メルケル首相が旧東ドイツの州を訪問する時は反メルケル運動を警戒、首相の身辺警備が強化されるそうです。

 

 ドイツでは、平成30年10月14日にバイエルン州で州議会選が実施されます。いずれも、旧西ドイツの州です。

 

 複数の世論調査によりますと、バイエルン州議会選では「キリスト教社会同盟」(CSU)に次いで、右派政党である「ドイツのための選択肢」(AfD)が第2党に進出する勢いを見せているそうです。

 

 問題のザクセン州でも、平成31年、州議会選が行われますが、AfDの躍進は確実視されています。

 

 旧東西両ドイツで反難民、外国人排斥を標榜するAfDが大きな台風の目となってきていることは間違いありません。

 

 ちなみに、平成27年大晦日のケルン市中央駅周辺で、多数の難民にドイツの女性たちが集団暴行された事件が起きています。

 

 ケルン警察当局は当時、女性たちが暴行されたことを公表せず、事件から4日後になって初めて婦女暴行事件があったことを認めています。

 

 ケルン中央駅の集団婦女暴行事件は難民・移民の受け入れを進めてきたメルケル首相にとって大きなダメージを与える事件でした。

 

 ドイツでは平成27年、100万人を超える難民・移民が中東・北アフリカから殺到してきていますが、難民収容に積極的なメルケル首相率いるCDUと、厳格な国境管理を要求するバイエルン州のCSUの間では、姉妹党であるにもかかわらず、根本的な政策の違いがあります。

 

 CSU党首のゼーホーファー内相はCSU党内での会合で「難民・移民が(ドイツが直面している)全ての問題の根源だ」と述べています。

 

TOPへ戻る