トリビア バックナンバー 2/2
元号
中国あるいは中国文化の影響を受けた漢字文化圏において、特定の年代に年を単位として付けられる呼称と定義されます。厳密にいえば、極々細かい定義の違いはあるのですが、年号とほぼ同義です。
皇帝は「時も支配する」という考えが根底にあります。
中国の元号は、まさに元号のオリジナルです。
複数の王朝が並立しているときは、それぞれの元号がありました。
また、中国王朝の冊封を受けた国も中国の元号をそのまま使っていました。
冊封とは、中国の皇帝に朝貢して官位(「国王」など)をもらって、現地統治の「お墨付き」をもらいことです。「属国」「属国」ということになります。
冊封を受けた国のことを、冊封国と呼びます。現代風にいえば「自治領」よりもはるかに自由度は高いでしょう。
ちなみに、邪馬台国の女王卑弥呼、5世紀の倭の五王は、中国の冊封を受けたといえますが、外交儀礼以外で、中国の元号がそのまま用いられたとまではいえないのかも取れません。
聖徳太子の時代、隋の煬帝に、「日出づる国の処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」との国書を渡し、日本の天皇と中国の皇帝は対等であるとの意思表示をしました。
日本は、離島ですから、中国に攻込む力はありません。
ちなみに、冊封を受けていません。足利義満は「日本国王」の称号を受けていますが、僭称(官名詐称)にすぎません。
朝鮮・渤海・ベトナムなど冊封を受けた周辺国は、長期間にわたり中国の元号を、そのまま使用していました。
もちろん、これらの国々独自の元号を利用することがありました。
中国と陸続きで、武力行使されたりして、中国の属国とならなければならない時期が長期間にわたったんですね。
ちなみに、韓国も、日本国天皇を「日王」と呼んでいた時代がありましたが、これは、韓国が中国の属国であったときの考えどおり、唯一の皇帝は中国の皇帝であり、日本の天皇は皇帝ではないという考えによります。
天皇と呼んだのでは「韓国が日本より格下」と認めたも同然ということでしょうが、逆に「日王」と呼んだのでは「韓国が中国より格下」と認めたも同然となります。
どちらに転んでもいいことはありません。素直に呼ぶのが一番いいですね。
なお、韓国自身が「大韓帝国」となのっていた時代もありました。
本家の中国の皇帝は、即位毎に改元する一世一元では、基本的にありませんでした。
日本でも、明治以前は、天皇の交代時はもちろんのこと、それ以外にも適宜に改元していましたが、明治維新の時に一世一元の詔(みことのり)が出され、天皇の代毎に改元する一世一元の制に改めています。
「元号法」 により、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、一世一元の制が維持されることになっています。
なお、庶民レベルで「元号」が一般化していたかどうかですが、干支(60年で一周します)が用いられていたのでしょうね。昔の戸籍をみると、明治政府が戸籍制度を導入した際、それまでに生まれていた人の生年月日に、「天保」「弘化」「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」「明治」などの元号が用いられていますが、右上に「干支」を併記していた地方自治体もあります。それまで干支が用いられ、元号になったので換算ミスをしないようにとの配慮でしょう。年の途中に元号はかわりますし、結構ころころ変わっていますから・・
ちなみに「平成21年」と言うのも、「西暦2009年」と言うのも自由です。
官公署は、元号を用います。
私は、公務員である裁判官を10年していますから、原則として、元号を用い、必要に応じて西暦を付記しています。
ただ、昭和57年(1982年)6月から昭和59年6月(1984年)までは、ドイツで過ごしていたため元号は全く用いず、それらの期間だけ、西暦でものを考えてしまう癖がついてしまっています。
確かに、元号は日本でしか通用しないこと、昭和から平成になったときに、各ひな形文書の刷直しに手数がかかり、また、換算が不便であることが実感されたことなどから、元号と西暦を併記するのが通常ですね。
天皇制廃止論者を含めた左翼系の人は、思想信条により、元号ではなく西暦を好む人がいます。
裁判官時代に、昭和56年(行ウ)第○○号という事件を、ご丁寧に「1981年(行ウ)第○○号」と記載した非常識な本人がいた記憶があります。記号ですから、そのまま書かなければなりません。最初から、無理な訴訟でしたが、適当にあしらわれて敗訴になっていました。
なお、縁起でもない話ですが「平成」の次の元号は、どうなるでしょう。
漢字二文字はまず確定です。
ローマ字表記したとき「M」「T」「S」「H」にならないことも確実です。
生年月日を「M」「T」「S」「H」であらわしますし、今上天皇陛下崩御と明治生まれの人が全員亡くなるのとでは、前者が早いと予想されるからです。仮に、明治生まれの人が全員亡くなり、その後に天皇陛下崩御の時は、ローマ字表記したとき「M」も候補としてあがってきます。
今なら「慶応」時代の人は生きていませんから、ローマ字表記したとき「K」となる元号も候補の一つです。
元号は以下のとおりです。一時北朝と南朝に分かれていましたので、北朝は別にまとめてあります。断絶している部分(空白の部分)があります。また、終年は厳密に言えば翌年です。
1 大化 645~649
2 白雉 650~654
3 朱鳥 686
4 大宝 701~703
5 慶雲 704~707
6 和銅 708~714
7 霊亀 715~716
8 養老 717~723
9 神亀 724~728
10 天平 729~748
11 天平感宝 749
12 天平勝宝 749~756
13 天平宝字 757~764
14 天平神護 765~766
15 神護景雲 767~769
16 宝亀 770~780
17 天応 781
18 延暦 782~805
19 大同 806~809
20 弘仁 810~823
21 天長 824~833
22 承和 834~847
23 嘉祥 848~850
24 仁寿 851~853
25 斉衡 854~856
26 天安 857~858
27 貞観 859~876
28 元慶 877~884
29 仁和 885~888
30 寛平 889~897
31 昌泰 898~900
32 延喜 901~922
33 延長 923~930
34 承平 931~937
35 天慶 938~946
36 天暦 947~956
37 天徳 957~960
38 応和 961~963
39 康保 964~967
40 安和 968~969
41 天禄 970~972
42 天延 973~975
43 貞元 976~977
44 天元 978~982
45 永観 983~984
46 寛和 985~986
47 永延 987~988
48 永祚 989
49 正暦 990~994
50 長徳 995~998
51 長保 999~1003
52 寛弘 1004~1011
53 長和 1012~1016
54 寛仁 1017~1020
55 治安 1021~1023
56 万寿 1024~1027
57 長元 1028~1036
58 長暦 1037~1039
59 長久 1040~1043
60 寛徳 1044~1045
61 永承 1046~1052
62 天喜 1053~1057
63 康平 1058~1064
64 治暦 1065~1068
65 延久 1069~1073
66 承保 1074~1076
67 承暦 1077~1080
68 永保 1081~1083
69 応徳 1084~1086
70 寛治 1087~1093
71 嘉保 1094~1095
72 永長 1096
73 承徳1097~1098
74 康和 1099~1103
75 長治 1104~1105
76 嘉承 1106~1107
77 天仁 1108~1109
78 天永 1110~1112
79 永久 1113~1117
80 元永 1118~1119
81 保安 1120~1123
82 天治 1124~1125
83 大治 1126~1130
84 天承 1131
85 長承 1132~1134
86 保延 1135~1140
87 永治 1141
88 康治 1142~1143
89 天養 1144
90 久安 1145~1150
91 仁平 1151~1153
92 久寿 1154~1155
93 保元 1156~1158
94 平治 1159
95 永暦 1160
96 応保 1161~1162
97 長寛 1163~1164
98 永万 1165
99 仁安 1166~1168
100 嘉応 1169~1170
101 承安 1171~1174
102 安元 1175~1176
103 治承 1177~1180
104 養和 1181
105 寿永 1182~1183
106 元暦 1184
107 文治 1185~1189
108 建久 1190~1198
109 正治 1199~1200
110 建仁 1201~1203
111 元久 1204~1205
112 建永 1206
113 承元 1207~1210
114 建暦 1211~1212
115 建保 1213~1218
116 承久 1219~1221
117 貞応 1222~1223
118 元仁 1224
119 嘉禄 1225~1226
120 安貞 1227~1228
121 寛喜 1229~1231
122 貞永 1232
123 天福 1233
124 文暦 1234
125 嘉禎 1235~1237
126 暦仁 1238
127 延応 1239
128 仁治 1240~1242
129 寛元 1243~1246
130 宝治 1247~1248
131 建長 1249~1255
132 康元 1256
133 正嘉 1257~1258
134 正元 1259
135 文応 1260
136 弘長 1261~1263
137 文永 1264~1274
138 建治 1275~1277
139 弘安 1278~1287
140 正応 1288~1292
141 永仁 1293~1298
142 正安 1299~1301
143 乾元 1302
144 嘉元 1303~1305
145 徳治 1306~1307
146 延慶 1308~1310
147 応長 1311
148 正和 1312~1316
149 文保 1317~1318
150 元応 1319~1320
151 元亨 1321~1323
152 正中 1324~1325
153 嘉暦 1326~1328
154 元徳 1329~1330
155 元弘 1331~1333
156 建武 1334~1335
157 延元 1336~1339
158 興国 1340~1345
159 正平 1346~1369
160 建徳 1370~1371
161 文中 1372~1374
162 天授 1375~1380
163 弘和 1381~1383
164 元中 1384~1392
165 明徳 ~1393
166 応永 1394~1427
167 正長 1428
168 永享 1429~1440
169 嘉吉 1441~1443
170 文安 1444~1448
171 宝徳 1449~1451
172 享徳 1452~1454
173 康正 1455~1456
174 長禄 1457~1459
175 寛正 1460~1465
176 文正 1466
177 応仁 1467~1468
178 文明 1469~1486
179 長享 1487~1488
180 延徳 1489~1491
181 明応 1492~1500
182 文亀 1501~1503
183 永正 1504~1520
184 大永 1521~1527
185 享禄 1528~1531
186 天文 1532~1554
187 弘治 1555~1557
188 永禄 1558~1569
189 元亀 1570~1572
190 天正 1573~1591
191 文禄 1592~1595
192 慶長 1596~1614
193 元和 1615~1623
194 寛永 1624~1643
195 正保 1644~1647
196 慶安 1648~1651
197 承応 1652~1654
198 明暦 1655~1657
199 万治 1658~1660
200 寛文 1661~1672
201 延宝 1673~1680
202 天和 1681~1683
203 貞享 1684~1687
204 元禄 1688~1703
205 宝永 1704~1710
206 正徳 1711~1715
207 享保 1716~1735
208 元文 1736~1740
209 寛保 1741~1743
210 延享 1744~1747
211 寛延 1748~1750
212 宝暦 1751~1763
213 明和 1764~1771
214 安永 1772~1780
215 天明 1781~1788
216 寛政 1789~1800
217 享和 1801~1803
218 文化 1804~1817
219 文政 1818~1829
220 天保 1830~1843
221 弘化 1844~1847
222 嘉永 1848~1853
223 安政 1854~1859
224 万延 1860
225 文久 1861~1863
226 元治 1864
227 慶応 1865~1867
228 明治 1868~1912
229 大正 1912~1926
230 昭和 1926~1989
231 平成 1989~
1 正慶 1332~1333
2 建武 1336~1338
3 暦応 1338~1341
4 康永 1342~1344
5 貞和 1345~1349
6 観応 1350~1351
7 文和 1352~1355
8 延文 1356~1360
9 康安 1361
10 貞治 1362~1367
11 応安 1368~1374
12 永和 1375~1378
13 康暦 1379~1380
14 永徳 1381~1383
15 至徳 1384~1386
16 嘉慶 1387~1388
17 康応 1389
18 明徳 1390~