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2012年バックナンバー

中国の統一的多民族国家論

中国は、自国を占領して王朝を建てた民族の領土を、自国領として大きくなってきています。

 元来、中国は漢民族の国です。

 モンゴル族が当時の中国全土を統治して「元」王朝を建てたのですが、漢民族が「明」王朝を建てると、モンゴル族の領土を中国領としてしまいます。
 現在モンゴル共和国は、独立国ですが、一部は「内蒙古自治区」に組み込んでいます。

 女真族(後に「満州族」)が当時の中国全土を統治して「清」王朝を建てたのですが、漢民族が、中華民国を建てると、女真族(後に「満州族」という名称になります)の領土を中国領としてしまいます。

 中国は「統一的多民族国家論」をかかげるようになりました。
 平成14年12月に中国教育省が歴史教学大綱を発表したことからはじまります。
「現在の中国の領土内で諸民族が興亡した歴史はすべて中国の歴史であり、それらの諸民族はすべて中国人(=漢民族を含む多民族からなる中国籍の国民)の先祖である」

 モンゴル族も中国人、女真族も中国人、モンゴル族が漢民族を征服して元王朝を建てたものではないし、女真族が漢民族を征服して清王朝を建てたものではない、いわば中国人同士の兄弟げんかということになります。

 中国の英雄に「岳飛」がいます。
 岳飛は南宋代末期、異民族である女真族と戦い、和親派の秦檜によって謀殺された武将です。
 漢民族であり、異民族である女真族と戦った英雄です。
 南宋の首都であった杭州に行けば、「岳飛廟」があります。
 ご丁寧に、秦檜が投獄されている像があり(歴史的事実ではありません)、中国人が「つば」をはきかけているようです。

 中国の英雄に「文天祥」がいます。
 文天祥は宋の英雄です。
 文天祥は宋代末期、異民族であるモンゴル軍に対抗し捕虜となり、モンゴル帝国の皇帝、フビライ・ハーンの懐柔を受け入れず、死を選んだ忠臣とされています。
 台湾の太魯閣にある「天祥」は、文天祥にちなみ名付けられ、文天祥の像があります。

 中国はこれまで「岳飛」と「文天祥」の2人を「民族の英雄」として尊敬してきましたが、事情が変わりました。
 2人は国を守る戦争ではなく「兄弟間で垣根を争う」国内民族間の戦争に参加したのであり、民族の英雄とは見なせないという理屈になります。

 日本人には、あまり、興味がないですね。
 既に存在しない国をもって、現代の国家や民族の枠組みで語ること自体がナンセンスな気がしないでもありません。

 ちなみに、中国は、高句麗と渤海遺跡が残っている中国東北部に万里の長城が存在したという主張を初めて公式化しました。
 高句麗と渤海は中国の一部ということで、高句麗と渤海の歴史は中国史という主張になります。
 韓国や北朝鮮は、高句麗と渤海を自国民族の祖先の国という主張をしていますから、反発が強いようです。
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