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2012年バックナンバー

左遷

菅原道真という政治家学者がいました。

 醍醐天皇下では右大臣にまで昇りつめましたが、左大臣藤原時平の「不正密告」により、大宰府へ権帥として左遷され現地で没しました。

 ちなみに、左大臣、右大臣、内大臣、大納言・中納言・参議で、今でいう閣議を構成していましたから、左大臣が首相格、右大臣が副首相格というのが「あたらずといえども遠からず」でしょう。

 太政大臣は、左大臣より上ですが、空席が原則です。
 摂政や関白は天皇陛下が幼帝などの場合の職務代行ですから、天皇に準ずる位です。

 首相から密告され、副首相がとばされたということになりますね。
 当然、天皇陛下が裁可したことになります。

 京の都から、福岡の太宰府への左遷はつらかったでしょうね。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という和歌が有名です。

 ちなみに、中国では、右を尊び左を下とする慣習ありましたから、官位の降格を「左遷」と呼びました。
 ただ、日本では、「左大臣」>「右大臣」ですから、逆ですね。
 「右を尊び左を下とする慣習」とは逆でしたが、中国から輸入された「左遷」という言葉は用いられていました。

 ちなみに、天皇陛下が中央で、左大臣は天皇陛下からみて左、右大臣は天皇陛下からみて右に位置します。

 天皇陛下は「センター」です。
 なお「総選挙」や「じゃんけん」で選出されないことは、皆さんご存じのとおりです。


 ある女性グループの総選挙4位当選者が、過去の男性問題で、東京のグループから福岡のグループに「左遷」されました。

 福岡のグループのメンバーにとっては、「左遷」といわれては「面白く」ないでしょう。
 福岡のグループだからよかったものの、大阪のグループに来ていたら「栄転やないか~」と言われていたと思います。
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