トリビア バックナンバー 1/2
合成の誤謬
「合成の誤謬」という言葉をよく聞きます。
意味は「個々人としては合理的な行動であっても、多くの人がその行動をとることによって、社会全体にとって不都合な結果が生じてくること」ということです。
といっても難しいでしょうから、やさしい例をあげてみましょう。
野球場やサッカー場は、観客席が「すり鉢」状になっていますから(前が低く、後ろが高くなっています)、みんなが、おとなしく座ってさえいれば、前の観客が、極端に「のっぽ」だったりした場合は別ですが、みんなが、プレーを「それなりに」見られるように設計されています。
ここで、1人の利己的な観客が、座らずに立上がって見たとしましょう。
この利己的な観客にとっては、プレーが非常によく見えます。ほとんど180度見ることができるといっていいでしょう。この観客にとっては、合理的な行動です。
しかし、周りの人、少なくとも後ろの人は黙っていません。自分も立って見ようと考えます。
みんなが立ったらどうなるでしょうか。
誰も、まともにプレーを見ることができなくなります。
「デフレスパイラル」とよく言われます。
現今の不況期には、個人・企業が、消費や投資を控えるのは、個々人あるいは、個々の会社にとっては合理的ですが、経済全体としては(マクロ的には)不況を悪化させることになってしまうことになります。
個人が将来に不安を感じて、消費を控えて貯蓄に回すというのは当たり前のことですし、企業が、将来「モノが売れなくなる」と判断すれば、設備投資を控えるのは当たり前のことです。
そうすると、いったん、個人・企業が、消費や投資を控えはじめると、「消費しない」→「売れない」→「消費しない」→「売れない」と、「雪だるま式」あるいは「スパイラル的」不況が悪化していきます。
最初の、野球やサッカーの場合は、「観客席に立ってはならない」ルールがあり、ルールを守らない人は、強制的に球場外に排除(eject)されます。
これで「合成の誤謬」は防止できます。
もっとも、単発的に席を立つ、マナーの悪い観客もいますが・・・
また、ホームチームの選手の劇的ホームランで、観客が総立ちに近い状態になって歓喜の気持ちを表すのは、あまり文句はいわれません。
後の、個人・企業の消費や投資の差控えについては、規制するルールがありません。
何かの機会により、好況になるのを祈るしかないようです。
ちなみに、解雇制限などの正社員の権利を保護する規定が厚すぎたら、企業は、正社員を整理して(定年退職後に新たに雇用しない、早期希望退職をつのる。あるいは、業績が悪化すれば、整理解雇も可能です)、派遣を増加させます。また「一人親方」のような請負にするかも知れません(一部、運送業など、契約上は個人事業主の請負になっている業種もあります)。
なお、派遣労働者の権利を保護しようとすれば、企業は、正社員さえ減らし、極端に長い残業も含めた残業の長短で調整しようとするでしょうし、海外に単独あるいは合弁で生産拠点をもったり、海外企業から購入を増やしたりする結果、失業者は逆に増えると思います。
企業は、国内外の競争相手との勝負に敗北すれば、吸収されるならまだしも、倒産して跡形もなくなってしまいます。
日本の賃金が、周辺諸国より同等程度に低くなれば、その時点で失業率は劇的に減ると思います。
私が生きているうちに、そんなことにはならないと思いますが・・