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2015年~2017年バックナンバー

元号

 政府は、天皇陛下の譲位と、皇太子殿下の即位に伴う新元号の施行時期について、「2019年4月30日・2019年5月1日」と閣議決定しました。
 なお、平成30年中に、新元号が発表されます。

 

 本来は、「2018年12月31日・2019年1月1日」とする方が合理的なのでしょうが、天皇陛下は、大晦日から元日にかけて、祭事が多いため、断念したようです。

 

 ちなみに、年の途中で改元があるのが通常です。
 明治に入ってからは、天皇崩御の翌日から新元号となります。

 

 明治45年(1月1日-7月30日)
 大正元年(7月31日-12月31日)

 

 大正15年(1月1日-12月25日)
 昭和元年(12月26日-12月31日)

 

 昭和64年(1月1日-1月7日)
 平成元年(1月8日-12月31日)

 

 昭和元年生まれの人は珍しいですし、昭和64年生まれの人が珍しいのも、天皇陛下の崩御が年末年始になっているからです。

 

 私の母方の伯父は大正15年生まれですが、頭もしっかりしていますし、足腰もしっかりしています。
 何事もなければ、大正、昭和、平成、新元号と4元号を生抜いたことになります。

 

 私は、昭和から平成にかわるとき裁判官をしていました。

 

 裁判所は、当たり前の話ですが、西暦をつかわず元号を使います。

 

 当時は、ワープロは、あまり普及しておらず、判決書などを除き、印刷した定型用紙に書込むことが多く、「昭和 年 月 日」と印刷されたものが多量に残っていましたから、「『昭和』とあるは『平成』と読替える」というゴム印を押し、旧用紙の在庫がなくなるまで使っていた記憶があります。

 

 また、昭和天皇の崩御近くになると、分割払いの和解調書で、昭和70年〇月〇日と書いて、昭和70年はないだろうと思ったこともあります。

 

 元号は、計算が面倒だという人も多いですが、せっかく続いた伝統(日本最初の元号である「大化」は西暦645年)ですから、用いないとすることもないでしょう。

 

 ちなみに、判例の判決日・決定日による検索は、元号しか利用できません。
 新元号になれば、判例検索ソフトがバージョンアップされることになります。

 

 天皇制が残っているのは貴重なことです。

 

 日本だけに住んでいる人はともかく、外国に住んだ経験がある人は、世襲君主制をなくしてしまった国は、世襲君主のいる国のことをうらやましく思っているということを実感するでしょう。

 

 大統領は、一般に、弾劾されたりすることがありますし、ドイツの大統領職は、政治家の「上がり」のポストですから、過去の汚職などで辞任ということもあります。

 ちなみに、韓国の大統領の末路は悲惨ですね。


元号
 

 元号とは何でしょうか。

 中国あるいは中国文化の影響を受けた漢字文化圏において、特定の年代に年を単位として付けられる呼称と定義されます。厳密にいえば、極々細かい定義の違いはあるのですが、年号とほぼ同義です。
  皇帝は「時も支配する」という考えが根底にあります。

 

 中国の元号は、まさに元号のオリジナルです。
 複数の王朝が並立しているときは、それぞれの元号がありました。

 

 また、中国王朝の冊封を受けた国も中国の元号をそのまま使っていました。

 冊封とは、中国の皇帝に朝貢して官位(「国王」など)をもらって、現地統治の「お墨付き」をもらいことです。「属国」「属国」ということになります。
 冊封を受けた国のことを、冊封国と呼びます。現代風にいえば「自治領」よりもはるかに自由度は高いでしょう。

 

 ちなみに、邪馬台国の女王卑弥呼、5世紀の倭の五王は、中国の冊封を受けたといえますが、外交儀礼以外で、中国の元号がそのまま用いられたとまではいえないのかも取れません。

 聖徳太子の時代、隋の煬帝に、「日出づる国の処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」との国書を渡し、日本の天皇と中国の皇帝は対等であるとの意思表示をしました。

 日本は、離島ですから、中国に攻込む力はありません。
 ちなみに、冊封を受けていません。足利義満は「日本国王」の称号を受けていますが、僭称(官名詐称)にすぎません。

 

 朝鮮・渤海・ベトナムなど冊封を受けた周辺国は、長期間にわたり中国の元号を、そのまま使用していました。

 これらの国々独自の元号を利用することもありました。

 中国と陸続きで、武力行使されたりして、中国の属国とならなければならない時期が長期間にわたったんですね。

 

 ちなみに、韓国も、日本国天皇を「日王」と呼んでいた時代がありましたが(今でもあります)、これは、韓国が中国の属国であったときの考えどおり、唯一の皇帝は中国の皇帝であり、日本の天皇は皇帝ではないという考えによります。

 天皇と呼んだのでは「韓国が日本より格下」と認めたも同然ということでしょうが、逆に「日王」と呼んだのでは「韓国が中国より格下」と認めたも同然となります。

 どちらに転んでもいいことはありません。素直に呼ぶのが一番いいですね。

 なお、韓国自身が「大韓帝国」と名乗っていた時代もありました。

 

 本家の中国の皇帝は、即位毎に改元する一世一元では、基本的にありませんでした。

 日本でも、明治以前は、天皇の交代時はもちろんのこと、それ以外にも適宜に改元していましたが、明治維新の時に一世一元の詔(みことのり)が出され、天皇の代毎に改元する一世一元の制に改めています。

 

 「元号法」 により、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、一世一元の制が維持されることになっています。

 

 なお、庶民レベルで「元号」が一般化していたかどうかですが、干支(60年で一周します)が用いられていたのでしょうね。昔の戸籍をみると、明治政府が戸籍制度を導入した際、それまでに生まれていた人の生年月日に、「天保」「弘化」「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」「明治」などの元号が用いられていますが、右上に「干支」を併記していた地方自治体もあります。

 それまで干支が用いられ、元号になったので換算ミスをしないようにとの配慮でしょう。年の途中に元号はかわりますし、結構ころころ変わっていますから・・

 

 ちなみに「平成29年」と言うのも、「西暦2017年」と言うのも自由です。

 

 官公署は、元号を用います。

 私は、公務員である裁判官を10年していますから、原則として、元号を用い、必要に応じて西暦を付記しています。

 

 ただ、昭和57年(1982年)6月から昭和59年6月(1984年)までは、ドイツで過ごしていたため元号は全く用いることはなく、それらの期間だけ、西暦でものを考えてしまう癖がついてしまっています。

 

  確かに、元号は日本でしか通用しないこと、昭和から平成になったときに、各ひな形文書の刷直しに手数がかかり、また、換算が不便であることが実感されたことなどから、元号と西暦を併記するのが通常ですね。

 

 天皇制廃止論者を含めた左翼系の人は、思想信条により、元号ではなく西暦を好む人がいます。
  裁判官時代に、昭和56年(行ウ)第○○号という事件を、ご丁寧に「1981年(行ウ)第○○号」と記載した非常識な本人がいた記憶があります。記号ですから、そのまま書かなければなりません。最初から、無理な訴訟でしたが、適当にあしらわれて敗訴になっていました。

 

 なお、縁起でもない話ですが「平成」の次の元号は、どうなるでしょう。

 漢字二文字はまず確定です。
 ローマ字表記したとき「M」「T」「S」「H」にならないことも確実です。

 生年月日を「M」「T」「S」「H」であらわしますし、今上天皇陛下崩御と明治生まれの人が全員亡くなるのとでは、前者が早いと予想されるからです。仮に、明治生まれの人が全員亡くなり、その後に天皇陛下崩御の時は、ローマ字表記したとき「M」も候補としてあがってきます。

 今なら「慶応」時代の人は生きていませんから、ローマ字表記したとき「K」となる元号も候補の一つです。

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