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天安門事件から38年
平成元年(1989年)6月4日に中国で天安門事件がありました。
平成元年(1989年)4月の胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中国の民主化を求める学生などの若者が連日にわたり天安門広場を占拠をしていましたが、平成元年(1989年)6月4日に中国軍が武力行使を行い、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧をして、多数の死傷者を出した事件です。
ある程度の年齢の人は、中国軍による、市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺したシーンを覚えておられるでしょう。
中国政府は、この事件の起こる直前から海外メディアの締め出しなど隠蔽工作に躍起になり、この事件を無かったことにしようとしましたが、BBCやCNNなどの取材班がこの惨劇を中継し全世界へ配信しました。
中国共産党の公式発表では、「事件による死者は319人」となっていますが、この事件による死傷者については、上記の中国共産党による報道規制により、客観的な確定が不可能であり、数百人から数万人に及ぶなど、複数の説があり定かではありません。
また天安門広場から、完全にデモ隊が放逐された後に、中国人民解放軍の手によって死体が集められ、その場で焼却されたという情報があるように、中国共産党によって、多くの死体が隠匿されたという報道もあります。
この事件の際に戦車の前に飛び出して走行を阻止しようとした「無名の反逆者」の映像が最も象徴的なシーンとして、現在でも語り継がれていることでも知られています。
28年たった今でも、インターネットの検索サイトで「天安門事件」にかんする記述の閲覧を阻止したり、学校教育でこの事件のことを無かったことにするなど、中国共産党による徹底した情報規制を行っています。
「天安門事件」という言葉はもちろん、「八九民運」「六四運動」も天安門事件を表現する言葉として規制されています。また「六四」などの隠喩されたワードも規制されています。
中国人ネットユーザーの間では、この規制を回避するために「8×8」「82」「Eight Squared(8の2乗)」「VIIV(ローマ数字の64)「5月35日」などの言葉で当局の規制に対抗するべく奮闘しています。
「大躍進政策」「文化大革命」と続き、中華人民共和国史上(建国後)3番目の悲劇でといわれています。
日本人は、このように危険な国が、近くにいることを忘れてはなりません。