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アウシュビッツから70年
平成27年1月26日、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人を中心に、少なくとも110万人を虐殺したアウシュビッツ強制収容所が解放されてから70年となり、収容所の跡地で追悼の式典が開かれました。
東西に別れ、賠償をさせると、西ドイツを強大にして、共産主義への砦としようとする、ソ連を除く連合国側の思惑からです。
政治家が中心となっていた従前の式典とは異なり、生還した人たちが悲劇を次の世代に伝えていく重要性を訴えました。
70年経過していますから、生存者の命も、そう長くはないでしょう。
あと10年もすると、ちゃんと式典に出席できるか不安です。
私は、アウシュビッツ収容所に行ったことはありませんが、ドイツ留学時代、ミュンヘン近郊のダッハウ収容所に行ったことがあります。
日本人とは発想が違います。
日本人は、敵の軍人(serviceman)は殺しますが、一般人の殺害は避ける傾向にあります。
また、特定の人種を狙い撃ちにして大量殺戮などはできません。
平成27年1月26日、メルケル首相は「国際アウシュヴィッツ委員会」の追悼行事において演説し「私たちを人間たらしめているものの本質、すなわち人間の尊厳を根底から揺るがす攻撃」であったとするとともに「アウシュヴィッツは、ショアーというドイツが犯した文明の断絶行為の象徴である」「私たちは、記憶が鮮明に保たれるよう図る責任を恒久的に負っている」と述べ、当時の残虐行為に関する記憶を後世に伝えていくよう訴えました。
ドイツは、戦後、ユダヤ人には多大の賠償を行ってきました。
ユダヤ人が有力なこと、従前の戦争一般と異なり、「ホロコースト」は弁解のしようのないことだからです。
東西に別れ、賠償をさせると、西ドイツを強大にして、共産主義への砦としようとする、ソ連を除く連合国側の思惑からです。