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2024年バックナンバー

雑記帳

韓国とソウルの各警察トップを内乱容疑で拘束

 韓国の尹錫悦大統領は、令和6年12月3日午後11時ごろ、非常戒厳を宣言しました。
 大統領が非常戒厳を宣言するのは、昭和62年の民主化以降、44年ぶりでした。

 令和6年12月4日未明、国会議員190人は国会本会議場に集まって全員賛成で戒厳令解除を議決し、尹大統領は戒厳宣言6時間後の令和6年12月4日午前に戒厳解除を宣言しました。
 これは非常戒厳宣言は大統領の権限や国会在籍議員過半数の賛成があれば戒厳令の解除しなければならないという憲法77条の規定により、大統領はこれを受け入れて解除を宣言しました。妙なところで律儀ですね。

 結局は、尹錫悦大統領が、国政がうまくいかないことによるストレス爆発、今風にいえば「切れた」というとのようです。尹錫悦大統領の、戒厳令による憲法・法律の一部の効力停止、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の指揮下に移行が失敗したということですね。
 最近の世論調査では尹大統領の支持率が20%を下回る結果も出ており、令和6年度の予算決議をめぐり、国会で多数を握る野党側との対立が一層激化していたそうです。
 尹大統領はこれを「北朝鮮とつながる勢力の陰謀だ」と主張し、大統領権限の特別戒厳令を宣布し、令和6年12月3日深夜、野党が話し合いを行う国会への軍の進入を指示したということのようです。

 一応、民主化されたという表面を取り繕いながら、実質的には民主国家でも何でもなかったということですね。
 韓国のGDPは世界14位、経済的には「先進国」といっても不思議ではないのですが、内実はそんなもののようです。
 国が危機にあったとしても、権力者たちは身内の権力闘争に明け暮れて、国も顧みないし、民も顧みないという、朝鮮半島の伝統が、ものの見事に出たようです。

 ちなみに、日本の戒厳令は、昭和11年(1936)2月26日の二・二六事件が唯一で(五・一五事件のときには、戒厳令は出ていません)、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負うという軍による反乱が起きたのですが、青年将校らは反乱軍として鎮圧されています。

 現在の日本の憲法には、憲法や法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の指揮下に移行する戒厳令の制度はありません。
 ただ、G7のうちドイツには、ドイツを外国(昔の東ドイツを含む)が侵略してくるときのために、戒厳令という制度はあります。普通の先進国にはあるでしょう。日本だけが平和ぼけをしているということになります。
 ただ、韓国のように、大統領が戒厳令により、クーデターで軍政をひこうということは予定していないと思います。

 私は、令和7年3月終わりに韓国旅行を予定していますが、それまでに、決着が付かない場合は、旅行中止とするつもりです。

 ソウル中央地裁は令和6年12月日深夜、尹氏に戒厳令を進言した金龍顕前国防相について、「犯罪容疑が重大で証拠隠滅の恐れがある」として金氏を逮捕したところ、自殺未遂を起こしました。
 韓国の尹錫悦大統領による戒厳令について捜査する警察の捜査本部は、令和6年12月11日未明、警察トップの趙志浩警察庁長官とソウル警察庁トップの金峰植長官を内乱容疑で拘束しました。
 日本でいえば、防衛大臣、警察庁長官、警視総監すべてが拘束されたということになります。
 さらに、警察を管轄している行政安全部の李祥敏長官も内乱共謀罪で捜査対象とされ、逮捕は時間の問題と言われています。さらに検察を指揮している法務省のトップ、朴性載法務部長官も李長官同様に同じ容疑で告発されています。また、大統領代行になるはずのナンバー2の韓悳洙総理と、ナンバー3の崔相穆副総理兼企画財政部長官の両人も内乱共謀もしくは幇助で同様に捜査の対象となっています。
 国家の機能が麻痺しつつありますね。
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