雑記帳
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JR、乗客救援開始に5時間 瀬戸大橋の列車立ち往生
JR瀬戸大橋線快速マリンライナー(7両編成、乗客約150人)が、令和6年11月10日午前7時35分ごろ、児島・宇多津間の児島駅から南約4キロの瀬戸大橋上で約6時間にわたり立ち往生しました。架線事故でした。
高松発岡山行き列車の運転士や車掌が異常を確認し、緊急停止しました。
橋上で架線が切れて垂れ下がっていたためで、乗客にけがや体調不良はありませんてしたが、救援のための別列車に乗り換えるまで車内に閉じ込められました。
JR四国によりますと、乗客の救助は、緊急停止した列車がある上り線から乗客を救済する、反対の下り線を使う、代替バスを派遣するの3方法を検討しましたが、上り線は切断架線の撤去に時間がかかり、バスも手配できなかったことから断念し、救援用の列車を下り線を使って児島駅から向かわせて横付けし、渡り板で乗り換えてもらう案に決定したそうです。また、JR四国は従業員の呼び出しや状況把握のほか、乗換えに使った渡り板の準備、岡山県側のJR西日本との打ち合わせなどで時間を費やしたとしていて、乗客が橋上で長時間身動きできなかったとのことです。
橋の上で、約6時間というのは嫌ですね。
ただ、7両編成で乗客150人ということですから、1両あたり20人と立っている乗客はなく、マリンライナーの列車内にトイレもありますから、乗客にけがや体調不良がなかったのは不幸中の幸いです。新幹線の停止のときは、場所によっては、立っている乗客があふれることになりますから大変です。
ただ、海の上ですから、待つ時間より渡り板で乗り換えるのが大変だったかも知れません。
かつて、旧国鉄連絡船の紫雲丸が瀬戸内海で沈没した事故がありました。
事故は、昭和30年5月11日午前7時ころに発生しました。
紫雲丸は香川県の高松港沖で貨物船と衝突し、乗客乗員844人のうち、修学旅行中だった川津小の6年生児童と教員ら25人を含む168人が亡くなったという悲惨なものでした。
あと少しで70年ですね。
日本の小中学校では、体育の時間に水泳を教えますが、この事故が発端であったそうです。ただ、教えられても、泳げない人はいます。海や川ならともかく、プールで溺れる方が難しそうですが、パニックになるのでしょうね。
高松発岡山行き列車の運転士や車掌が異常を確認し、緊急停止しました。
橋上で架線が切れて垂れ下がっていたためで、乗客にけがや体調不良はありませんてしたが、救援のための別列車に乗り換えるまで車内に閉じ込められました。
JR四国によりますと、乗客の救助は、緊急停止した列車がある上り線から乗客を救済する、反対の下り線を使う、代替バスを派遣するの3方法を検討しましたが、上り線は切断架線の撤去に時間がかかり、バスも手配できなかったことから断念し、救援用の列車を下り線を使って児島駅から向かわせて横付けし、渡り板で乗り換えてもらう案に決定したそうです。また、JR四国は従業員の呼び出しや状況把握のほか、乗換えに使った渡り板の準備、岡山県側のJR西日本との打ち合わせなどで時間を費やしたとしていて、乗客が橋上で長時間身動きできなかったとのことです。
橋の上で、約6時間というのは嫌ですね。
ただ、7両編成で乗客150人ということですから、1両あたり20人と立っている乗客はなく、マリンライナーの列車内にトイレもありますから、乗客にけがや体調不良がなかったのは不幸中の幸いです。新幹線の停止のときは、場所によっては、立っている乗客があふれることになりますから大変です。
ただ、海の上ですから、待つ時間より渡り板で乗り換えるのが大変だったかも知れません。
かつて、旧国鉄連絡船の紫雲丸が瀬戸内海で沈没した事故がありました。
事故は、昭和30年5月11日午前7時ころに発生しました。
紫雲丸は香川県の高松港沖で貨物船と衝突し、乗客乗員844人のうち、修学旅行中だった川津小の6年生児童と教員ら25人を含む168人が亡くなったという悲惨なものでした。
あと少しで70年ですね。
日本の小中学校では、体育の時間に水泳を教えますが、この事故が発端であったそうです。ただ、教えられても、泳げない人はいます。海や川ならともかく、プールで溺れる方が難しそうですが、パニックになるのでしょうね。