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2024年バックナンバー

雑記帳

ベルリンの壁

 毎年11月11日は、東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」の記念の日です。

 ベルリンの壁は、1961年8月13日に建設が始まりました。
 「東西冷戦」「越えられない物」「変えられない物」の象徴でしたね。
 ちなみに「壁」は43キロメートルありました。
 ベルリンの壁を越えようとして殺された人もいました。

 平成元年(1989年)11月9日、ベルリンの壁が解放され、11月10日どこからともなくハンマーやつるはし、建設機械が持ち出され、「ベルリン市民」は、それらで壁の破壊作業を始めました。
 「本物」の「ベルリンの壁」の「破片」として、土産物屋で売られていることがありました。もっとも、ベルリンの壁の材料には大量のアスベストが使用されていました。
 ベルリンの壁の材料には大量のアスベストが含まれていることが知られていなかったため、無数の観光業者により無断掘削・販売が行われました。
 その昔、ベルリン土産に購入した人もいるでしょう。
 しかし、本物の「ベルリンの壁」の「破片」は、アスベストを含んでいますから危険です。たいていの土産物の「ベルリンの壁」の「破片」には、アスベストが含まれていません。偽物ですから。

 ベルリンの壁が崩壊して35年が経過します。
 また、旧西ドイツの地域と比べて、旧東ドイツの地域は貧しいですね。また、二流扱いをされています。
 そう簡単にいかないもののようです。

 こちらは、35年前に崩壊した壁ですが、今度は、別の分断国家に新たな壁がつくられています。

 北朝鮮が、令和6年4月頃から、南北軍事境界線の北側の一部地域で高さ約4~5メートルのコンクリート製の壁の建設を始めました。
 対戦車用の防御壁に似ていて、北朝鮮の兵士が工事に大量動員されています。

 壁が確認されたのは4か所で、工事の初期段階とみられる。現時点では最長で数百メートルですが、設置区間が延びる可能性も指摘されています。
 兵士らは重機をほとんど使わず、ほぼ人力で作業しています。
 韓国軍内では、東西冷戦を象徴したドイツの「ベルリンの壁」を連想させるとの声も出ています。

 北朝鮮の 金正恩朝鮮労働党総書記は昨年末の党の重要会議で、南北は同じ民族ではなく、「敵対的な二つの国家関係だ」と宣言しました。
 その後、韓国への敵対行為をエスカレートさせています。
 壁の建設は、物理的な国境線を引いて、韓国との敵対関係を際立たせる狙いがあるとの分析も出ています。
 南北軍事境界線の長さは248キロ・メートルあります。

 壁の建設と並行し、北朝鮮は軍事境界線に沿って設けられた非武装地帯(DMZ)付近で、地雷を埋設したり、軍事用の道路を整備したりする作業を活発に行っています。
 住民や兵士が韓国側に逃走するのを防ぐための措置とみられます。
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